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追うぞ! 千夜千冊116夜 『中国山水画の誕生』 マイケル・サリヴァン
今宵は重たい本だ。そして内容は難しい。著者マイケル・サリヴァンが本書を著したのは1962年のこと。ハーヴァード大学にて中国美術史を専攻し本書にて博士号を得たと書いてある。

松岡正剛さんはマイケル・サリヴァンをどうも嫌いのようである。以下ぐだぐだと書いてあるが要するにマイケル・サリヴァンってやつは好かんと云ってるのだろう。
「ここに紹介する一冊も、実は満足できる一冊ではないのだが、やはりマイケル・サリヴァンを土台にして、次の一歩は自分でしるさなければならないのだという覚悟を決めたという記念の意味で、ここに紹介しておく。サリヴァンはのちに『中国美術史』で一世を風靡した美術史学者である。ハーバード大学で中国美術史を専攻したが、その前にケンブリッジ大学では建築学を、ロンドン大学で中国語を収めているエリート中のエリートだ。本書はそのサリヴァンが学位論文で書いたものが下敷きになっている。ところが、ぼくはこの手のエリートが嫌いで、仮にそのエリート教授が書いた本があっても、これをわざわざあとまわしにする悪いクセがある。サリヴァンの『中国美術史』もそういうクセで放っておいたまま、かわりに、上にあげたような面倒なものばかりを漁っていた。そのほうがエリート思考のクセがつかないからである。このようなことはケネス・クラークにもあてはまる。クラークの『風景画論』は本書と並ぶ美術史のバイブルのひとつであるが、ぼくはこれを嫌ってずうっと読まないでいた。そのかわりにジョン・ラスキンやシャルル・ボードレールの批評を読んでいた。また、下村寅太郎さんとレオナルド・ダ・ヴィンチ談義をかわしたり、ウィリー・サイファーのルネサンス論を読んでいた。同様に日本人の西洋美術論ものも土方定一や植村鷹千代をできるだけ避けた。高階秀爾でさえ敬遠していた。こんなわけでサリヴァンを読むのが遅れたのだが、やはり『中国美術史』は退屈だった。そのため本書に対してもほとんど期待がなく、敬愛する中野美代子さんが訳したというので、読んでみたというのが実情だった」

松岡正剛さんの好みなんてどうでもいい。タイトルが『中国山水画の誕生』とあるのだから中国山水画ってものが要するに何なのかをかいつまめればそれだけでいい。ごく一般的には「山水画とは山や水といった個々具体的な表現素材を駆使して構成される全体としては理想的な山水の画でいわゆる風景画とは異なる」と解されている。

今宵は著者の言葉から中国山水画とは何かについて学ぼう。
「このような願望を充たす作品を生みだす中国の山水画家は、ただたんに自然の外観や目に見える姿を描写しているのではなく、自然に内在する生命と、自然を支配する調和をも描写しているのである。それゆえ、その作品はある意味で象徴的である。しかし、ヨーロッパのギリシア・ローマ時代の風景画が象徴的であるというのとは意味を異にしている。中国山水画の場合は、詩的引喩や神話的引喩がほとんど使われていないために、もっとひろい、もっとあいまいな意味において象徴的なのである。つまり、中国の山水画は、岩や木、あるいは山や川ということばをとおして語られた、中国人の人生観そのものにほかならない」

おぼろげな理解なれど。
[2013/12/27 21:14] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊115夜 『風俗の人たち』 永沢光雄
冒頭で松岡正剛さんの生活の様子が垣間見られへんなやつだと思った。
「だいたいぼくは、自慢じゃないけど(まったく自慢にならないが)「風俗」に行ったことがない。とくに理由はない。いやいや気取っているのではない。もともと出掛けるのが嫌いで、自分から呑みに行ったことも一度もないし、一人で食べに行ったことすら1年に1度が多いほうなのである。それが30年以上も続いている。みんなからかえって「健康に悪い」と言われているほどなのだ。むろんレストランやカジノに関心があるように、「風俗」にも関心がある。週刊誌やスポーツ紙で紹介されている「風俗情報」も、うんうん、ふむふむと読む。が、結局は何も知らないのである。それがこの本を読んで初めて“実情”を知った。それとともに、このような本はいくらでもありそうだったのに、やはりユニークなルポルタージュなんだということを知った」

今宵その後は、松岡正剛さんが「あまりに衝撃的で、感心してしまったので、本書に紹介されている“実情”をかいつまむことにする」とか述べている。本書から書き写している。自分が知りましたということだろう。順に、テレクラ、SMクラブ、美療マッサージ、女装プレイ、幼児プレイ、ピンサロ、ボンテージ、ホストクラブ、カップル喫茶、のぞき部屋と続く。

千夜千冊では必要のない知識を披露する夜もあるようだ。だいたい1990年から1997年頃までの風俗事例なんて古すぎるわ(>_<)
[2013/12/25 22:11] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊114夜 『日本文化総合年表』 市古貞次・浅井清・久保田淳・篠原昭二・堤清二ほか編集
『情報の歴史』(NTT出版)という本があり、離を受講しているときに、その書籍を使うというので買い求めたが、すでに絶版になっているという。いまでもアマゾンのユーズドに出品されてはいるが高値で買う気もおこらない。

とりあえず松岡正剛さんの自慢話を聞いてみよう。
「いい年表というものは、意外に少ない。しかし、どんな年表もそれなりのファクトチェックさえしっかりしているかぎりは、役に立つ。とくに、仏教史や建築史や飛行機開発史といった個別史の年表は、どうしても座右に欠かせない。いったいぼくがどのくらいの年表をもっているか、実は数えたことはないのだが、おそらく100冊は越えているだろう。この『千夜千冊』でも、できれば10冊ほどの年表を紹介したいのだが、紹介したい書物は浮塵子のごとくひしめいているので、残念ながらその隙間はないかもしれない。ぼく自身もそういう積年の“年表フェティシズム”ともいうべきが募って、『情報の歴史』(NTT出版)をつくった。これは自分のノートを何冊にもまたがって書きこんできた世界年表のエチュードをもとに、これを一挙に膨らましたもので、その作業とチームワークがそのまま「編集工学研究所」というエディトリアル・スタジオを生んだほどだった。『情報の歴史』はぼくが言うのも何なのだが、まさに前代未聞・空前絶後の年表である。世界史と各国史と日本史とを完全にまぜこぜにしたのを筆頭に、年表の中にヘッドライン(見出し)を3段階にわたって入れたり、いわゆる欄組にトラック変更をつけたり、実にさまざまな工夫をしてみた。まあ、当時のぼくの年表への思いを結実してみたもので、おかげで、その後はこれが全面デジタル化され、多彩な検索機能とビュー機能をもった「クロノス」というシステムになっている」

松岡正剛さんは年表フェティストだ。それはどうでもよいことだが、今宵の年表を買い求めたものの、パラパラと頁をめくっただけだ。生涯使うかどうかさえわからない。

松岡正剛さんの解説で内容を知る。
「本書は、ぼくが日本文化史に没入するようになってから刊行された総合文化年表で、それ以前に同じ出版社から刊行された『近代日本総合年表』の姉妹編になっている。構成は単純である。まずヨコ組。タテの共通オーダーに西暦・和暦年号、天皇・院政・摂関・将軍の欄がある。事項はタテに政治・社会、学術・思想・教育、宗教、美術・芸能、文学、人事、国外の6つ各トラックが仕切られる。これらに編年順に項目が並ぶのは、ごくごくふつう。ただし、事項がかなり詳しく、すべての事項に月ないしは月日が明示されている。もうひとつ、よくある年表は一人の人物の業績や一つの事件を何度も追ったりはしないのだが、この年表では、次々に出来事の連鎖が見えてくる程度に連打させている。そして、なんといっても信頼性が高い。また索引が充実している。これはたいへんにありがたい」

その後、松岡正剛さんは年表活用術をさらに自慢気に書き連ねている。年表フェティストのやることなどに関心なし。今宵はさっさとお仕舞いにしよう。
[2013/12/19 20:57] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊113夜 『外套』 ニコライ・ゴーゴリ
ロシア文学の話か。何も知らない。

手始めに松岡正剛さんの次の記述を参考にしよう。
「1809年、小ロシアの小さな市場町に生まれたゴーゴリがどんな時代に育ったかということは、ゴーゴリを解くうえでは決定的である。ギムナジウムを了えてペテルブルクに赴き、北ドイツに旅行をしたうえで再びペテルブルクに戻ってきたとき、女子学院で教鞭をとりはじめたゴーゴリは22歳になっていた。すでにこっそりとウクライナに題材をとった物語をつくりはじめていた。そして、その3月にプーシキンに出会う。プーシキンはゴーゴリの10歳の年上である。さかんにゴーゴリを支援した。そもそも出世作『検察官』がプーシキンのヒントによっている(プーシキンが『検察官』を読んで、「ああ、わがロシアはなんという悲しい国だろう」と嘆いたのは有名な話だ)。ちなみにツルゲーネフはゴーゴリの9歳年下で、25歳のゴーゴリがペテルブルク大学の助教授となって退屈な世界史を講義していたときの学生だった。ついでにいえば、ドストエフスキーはゴーゴリの12歳年下、トルストイは19歳年下である。ようするにゴーゴリこそがロシア文学の父たる時代の中心にいたわけである」

5人の誕生年を整理すると以下のようになる。
1799年 アレクサンドル・プーシキン
1809年 ニコライ・ゴーゴリ
1818年 イワン・ツルゲーネフ
1821年 フョードル・ドストエフスキー
1828年 レフ・トルストイ

ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイは、その名を一度は聞いたことがあるので、今宵の著者はロシア文学の先駆的偉人なのだと知った。そのニコライ・ゴーゴリの中期以降の代表作が『外套』のようだ。いったいどのような話か(読めばよいのだろうがかったるい)。

松岡正剛さんに要約してもらおう。
「物語はごくごく簡単なもので、その筋書が好きになったわけではない。貧しい小官吏のアカーキー・アカーキエヴィッチが一大決心をして外套を誂える。その外套が仕立てられているあいだに、外套はアカーキー・アカーキエヴィッチの生涯の夢になる。ところが、その外套ができあがってきて最初に着た夜に、ペテルブルクの暗い街区で外套を剥ぎとられてしまう。アカーキー・アカーキエヴィッチは悲嘆のあまりに死んでしまう。すると夜な夜な街区をうろつく幽霊が出る。そして幽霊が高慢ちきな上司の外套を剥ぎとってしまう。そんな筋である」

ウィキペディアには「(ニコライ・ゴーゴリは)地方地主たちの安逸な日常や、ペテルブルクの小役人・下層階級の人々の日々の生活の現実的で詳細かつ極めて誇張された描写から来る笑いと、それらの俗悪さ、空虚さ、卑小さへの作者の絶望と恐れから来る詠歎とが同居した独特の文体を特色とする」と書かれている。

松岡正剛さんはこうも述べている。
「これらは言ってみれば「瑕」(きず)とか「痕」(あと)とでもいうべき魅力である。その「瑕」や「痕」を描く力をゴーゴリはもっていた。ゴーゴリ以前に、この都市と人間の「瑕」や「痕」に気がついたのはアレクサンドル・プーシキンただ一人であった。プーシキンにはロシア文学のすべてが萌芽した。プーシキンこそいっさいの祖父である」

このように筋書きと作品の見方について知ろうとしたが(特に松岡正剛さんの解説が)いまいちわからない。本著は岩波文庫に収められているが、平井肇という人が訳しており、解題にこのような表現があった。僕にはこれが一番よくわかる気がした。
「ゴーゴリはこの小説の中で何人をも問責することなく、伝道者的に隣人愛を鼓吹し、哀れなる主人公アカーキイ・アカーキェヴィッチ・パシマチキンの面影の中に卑小で無価値な、一個の《霊魂の乞食》の像を描き出して、こうした一顧の値打もない人間でも、人道主義的な愛と、尊敬にすら値することを強調しているのである」
[2013/12/16 23:04] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊112夜 『ニッポン日記』 マーク・ゲイン
凡庸な読書しかしてこなかった私は、本書に出逢えたことを大いに喜びたい。追うぞ! 千夜千冊をしていなかったら、本書を絶対に知らなかった。

松岡正剛さんもこのように本著を讃えている。
「これは日本が占領されていた時代のアメリカのジャーナリストによる克明な日記である。記念的な名著に入る。克明であるというのは、ゲインの見聞が詳細にわたっているというだけではなく、取り扱っている話題の意味、すなわち「日本をどのように変えようとしたか」という主題を深く彫りこんでいるという意味もある。日付は、著者がコーン・パイプを咥えたマッカーサーさながら厚木の飛行場に着いた1945年の12月5日から始まっている。すでに敗戦直後の混乱と錯綜はおわっていたが、最後の日付は1948年5月3日である。このあいだに日本は徹底的に「民主化」された。民主化を断行したのは占領軍であり、そのトップ集団にあたるGHQである。いまではその一部始終が袖井林二郎のマッカーサー議論を筆頭に、多くの本であきらかになっているし、NHKのドキュメンタリーなどもたびたび秘話をあきらかにしてきたが、この日記が出版された当時は、誰もが本書によって初めてGHQが日本にもたらしたシナリオを知って驚愕したものだった」

本著の邦訳初版が出たのは1951年(昭和26年)秋である。1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日から6年数カ月が経った頃だ。当時はGHQが日本にもたらしたシナリオを誰も知らなかった。それを本著が教えてくれた。出版されてみると予想通りたちまちベストセラーになったことに頷ける。

松岡正剛さんもべた褒めである。
「おそらくいま読んでも、本書の価値はそうとうなものだろう。ともかくも敗戦直後の戦勝国のジャーナリストによる日本のリアルタイムな感想など、ほかにはめったに見られない。それにゲインの旺盛な行動力と精緻な調査力にも目をみはるものがある。毎日何本もの会見と“出動”をくりかえしているし、それも東京だけでなく、仙台・酒田・熱海・小諸・岩国・広島とダイナミックに動きまわっている。感心するのは、そのつど見聞の対象についてかなり鋭い批評が加わっていることである。いろいろ戦勝国のジャーナリストでなければ書けないことも、遠慮容赦なく書いてある。国旗日の丸のことを「肉団子」(ミートボール)、天皇のことを「チャーリー」と仲間うちで呼びあっていたというあたりをはじめ、のちに有名になったGHQ内部のホィットニーとウィロビーの対立の背景、1週間でつくられたアメリカ製日本国憲法の製造の楽屋裏、そのあいだをネズミのように動きまわった日本側の松本丞治らの姑息な動き、近衛秀麿の自殺の周辺、プロバガンダのみの賀川豊彦や冴えない吉田茂のこと、地上最大の売春計画を遂行しつつあった大安クラブやRAAの実態、財閥解体プログラムの進捗の仕方、読売騒動事件‥‥、まあ、何でも書いてあるといったほうがいいくらいだ。しかし、本書が最も注目されたのは、日本国憲法がアメリカからの「押し付け」であることを最初に公然と書いたことだった。この本が英語で出るまでは、そんなことは誰も知らなかったことなのである。もっとも、このことはいまなお論争中で、この一点をどう見るかということに21世紀の日本の政治課題の大半がのしかかってくるといってよい。その最初の一撃がマーク・ゲインによって放たれたわけである。もうひとつはマッカーサーに「天皇を日本民主化作戦のために温存して活用することを、日本の国民にさとられないように秘密裏に遂行せよ」という命令が出ていたことを、半ばスッパ抜くかたちであきらかにしたことだろう」

日本国憲法の押し付け論とマッカーサーの天皇を活かした日本民主化作戦はいまでは広く知られることになったが、本著が先駆けだとは知らなかった。

訳者・井本威夫の言葉である。
「(本著の)描写は読まるるとおり溌剌精緻であるが、そのどんな些細な点でも事実をけっしてゆるがせにしていない。こうした型のジャーナリストを持ち、また育てあげうるジャーナリズムの存在は、つくづく羨ましいものだと思う」

同感である。
[2013/12/12 22:09] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊111夜 『曲説フランス文学』 渡辺一夫
韜晦(とうかい)趣味という言葉を覚えた。韜晦とは、自分の才能・地位などを隠しくらますことを云う。松岡正剛さんは、出版人・神吉晴夫と著者・渡辺一夫とに韜晦趣味を感じたということを云いたいのであろう。

松岡正剛さんがこのように誘っている。
「本書が1961年にカッパブックス『へそ曲がりフランス文学』として出版されたとき、ぼくはまだお尻の青い高校3年生だったのに、出版人神吉晴夫と知識人渡辺一夫の“関係”をおおいに羨ましくおもい、いつかそのどちらかの声に接するか、そのどちらかの一端に与したいとおもったものだった。そういう意味で、本書では渡辺一夫が神吉晴夫との友情の柵(しがらみ)の顛末をあかしている「まえがき」が、読ませてやまないものになっている。いまふりかえれば、この「まえがき」を読んだことが、ぼくをしてどこかで「編集」に走らせたのかもしれないとも思えた」

全体はつまらなそうだから「まえがき」だけ読んでみた。渡辺一夫(1901~1975年)は日本のフランス文学者で、神吉晴夫(かんきはるお、1901~1977年)は日本の編集者で出版事業家である。この二人は大学の同期だった。本著では中世から現代までのフランス文学を論じられていて、著者の深い人間観察や批判精神が披露されているとある。

松岡正剛さんが渡辺一夫の特徴をこのように説明している。
「渡辺一夫は周囲から日本のユマニストの象徴のようにおもわれてきた人物である。大江健三郎が“渡辺先生”を語るときも、そういう口吻になる。これは、渡辺がルネサンスの“ユマニストの王”であるエラスムスを研究していたこと、それ以上にフランソワ・ラブレーの翻訳と研究の第一人者であったことにもとづいている。しかし渡辺のいうユマニスムは、今日語られている「ヒューマニズム」なんぞとはかなり異なっていた。そこには「嘲笑」もあれば「揶揄」も含まれる。ようするにつねにおかしなモノやコトに対する腹の底からの「笑い」というものがある。これを渡辺先生は「寛容と狂信のあいだ」というふうにとらえた。寛容はともかくも、狂信までもがユマニスムに入るというのは、いささか意外であろう。けれども、たとえば本書に扱われている宗教改革者ジャン・カルヴァンにとっては、当時の宗教的な状況そのものが「狂信」に見えたのだし、逆に当時の宗教状況にいる者から見れば、カルヴァンその人が「狂信」のかたまりに見えたはずだった。すなわち、何を狂信と見るかということそのものがユマニスムの決定的な境目になることは、宗教改革の時期だけではなく、いくらだってありうることなのである。その境目を丹念にたどっていくことが、フランス文学の歴史という厖大な流れを渡辺流に絞っていくための本書の羅針になっている」

ユマニストとは人文主義者のことで、渡辺一夫は、フランスのルネサンス文化、特にフランソワ・ラブレーの研究で知られ、翻訳不可能と言われた『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の日本語訳を完成させたことで有名であると知った。

松岡正剛さんの実直な回想である。
「正直なことをいうと、ぼくはこの本で初めてフランス文学の流れに入っていった」

奥が深そうなフランス文学に入る参考書として良いのかもしれない。
[2013/12/08 20:00] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊110夜 『華氏451度』 レイ・ブラッドベリ
この話の舞台は、情報が全てテレビやラジオによる画像や音声などの感覚的なものばかりの社会である。そこでは本の所持が禁止されており、発見された場合はただちにファイアマンと呼ばれる機関が出動して焼却し、所有者は逮捕されることになっていた。表向きの理由は、本によって有害な情報が善良な市民にもたらされ、社会の秩序と安寧が損なわれることを防ぐためだとされていた。密告が奨励され市民が相互監視する社会が形成され、表面上は穏やかな社会が築かれていた。しかしその結果、人々は思考力と記憶力を失いわずか数年前のできごとさえ曖昧な形でしか覚えることができない愚民になっていた。そのファイアマンの一人であるガイ・モンターグは当初は模範的な隊員だったが、ある日クラリスという女性と知り合い、彼女との交友を通じてそれまでの自分の所業に疑問を感じ始めた。ガイは仕事の現場で拾った数々の本を読み始め、社会への疑問が高まっていく。そしてガイは追われる身となっていく。

そんな話である。題名は、本の素材である紙が燃え始める温度(華氏451度≒摂氏233度)を意味している。禁書とか発禁とかへの抵抗についてか。

松岡正剛さんは次のように述べている。
「この作品の魅力は、ブラッドベリが書物を焼く法令をもったジョージ・オーウェル型の窮屈な未来社会を一方で描きつつも、その一方で、ブラッドベリがどのように書物の神話を取り戻そうとしたかという一点にかかっている。書物を焼くのは秦の始皇帝の焚書のようなもので、社会があまりに究極の姿を求めるときにしばしばあらわれる悲喜劇的な現象である。別に未来社会ばかりにおこるわけではない。もちろんブラッドベリもそのつもりで書いている」

さよか。それで、何が面白いのだろうか。SF作家・レイ・ブラッドベリは、たしか昨年(2012年)亡くなっていると思う。レイ・ブラッドベリは、精神の自由と個人の尊厳を、その証拠としての活字文化を守り抜くべくものとしたと知ればよいのだと思う。

松岡正剛さんのブラッドベリ読書談を聴こう。
「ぼくはレイ・ブラッドベリの作品のほとんどを読んでいるが、最初に唸ったのは『火星年代記』であった。この本のことを教えてくれたのは写真家の奈良原一高で、たしか杉浦康平も「あれはいいねえ」と言っていたようにおもう。ついで『黒いカーニバル』と『十月はたそがれの国』に驚いた。この人に会いたいとおもったのはこのときである。ついで『ウは宇宙船のウ』『スは宇宙のス』を、フレドリック・ブラウンの『狂った宇宙』とともに読み耽った。そのときは工作舎に入ってきた戸沼恭にこれらを勧め、しばらくはブラッドベリとブラウンに似せてコピーを書く遊びに興じたものだった。この遊びは、ダイヤモンド社から頼まれて構成編集をした『東京市電・東京都電』という本のコピーに生かされている。が、とくにぼくがやられたと思ったのは、『何かが道をやってくる』である。これは冒頭からやられた。「嵐の空模様のシャツを着た男が避雷針を売りにきた」というものだ」

僕はたぶん他の作品は読むことはもうないと思う。

それより松岡正剛さんの昔の経験が面白い。これぞと思った人には会いに行く。そうすると新しい発見がある。これは見習わねばと思い最後に引用しておく。
「レイ・ブラッドベリと会って話しこんだ日本人はあまりいないらしい。そう、ブラッドベリ自身が言っていた。べつだん会うのが困難なめんどうな作家ではない。ロスアンジェルスの飛行場に着いたら電話をかければすむ。すぐに何日のアポイントメントがいいかを、本人が決めてくれる。そうすれば、かなり気さくで、陽気であって、なんでも話したがるアメリカ人に会えることになる。が、そのアメリカ人特有の明るさに、ぼくはちょっと面食らったほどだった。とくに地下室に案内されて、ミッキー・マウスをはじめとする厖大なぬいぐるみや人形のコレクションを自慢されたときは、これがあのブラッドベリなのかと疑った。しかし、ブラッドベリの真骨頂はそこにある。好きなもの、嫌いなものをはっきりさせること、そこなのである。本人も、こう言っている。「まず自分が好きなものは何かを決めること、ついでに何が憎らしいかを決めること、そうしたら次にそこに入りこむキャラクターを選んでみることだ」と。ただし、そこで自分ばかりが主人公になってはいけないらしい。そこからは、そのキャラクターの大活躍のために努力を惜しまないようにすることだという。地下室のキャラクター人形があんなに集まっているのは、レイ・ブラッドベリの世界を演じ分ける時間を待っている登場人物だったのである」
[2013/11/05 14:07] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊109夜 『神風と悪党の世紀』 海津一朗
著者がどこの誰で今宵は何の話か咄嗟につかめなかった。海津一朗先生は現在和歌山大学内紀州経済史文化史研究所の方で中世史の研究家でいらっしゃる。

松岡正剛さんの記事を読んでもよく分からず不満であったが、海津一朗さんが制作された『秀吉の太田城水攻め』DVDを観る機会があり雑賀惣国のことをよく知った。惣とは、農民と地侍による地域ごとに自治的な組織であり、集落の周りに堀を張り巡らし外敵の侵入を防ぎ自分たちできまりを作って自分たちで運営していく村のことである。この惣国を織田信長・豊臣秀吉が滅ぼすのである。今の和歌山城は当時の太田城であった。雑賀衆太田党主である太田左近宗正は豊臣秀吉による水攻めに遭いこの城で自害している。

松岡正剛さんのこの個所だけ引用する。
「日本の支配者は彗星が接近しただけで変わることがある。執権北条貞時もそうして引退した。天人相関説による。地上の悪政があると、それが天上の彗星や流星や客星(新星)の出現をもたらすというものだ。このような日本に元(モンゴル)が攻めてきた。蒙古襲来(元と高麗の連合軍)は文永弘安の2度だけではない。サハリン・琉球・江華島などの日本近域をふくめると、1264年から1360年までの約100年のあいだ、蒙古襲来は繰り返しおこっている。こうした襲来は、為政者や神社仏閣のあいだでは「地上と天上の相関」によって解釈された。そうだとすれば、蒙古襲来という地上の出来事に対しては、天上の出来事が対応すべきであるということになる。それゆえ台風(暴風雨)によって異国人の襲来を撃退できたのは、まことに天人相関説の“実証”に役立った。が、実際には神風ばかりに頼ったのではなかった。地上で天上を扱っているともいうべき神社に祀られている神々も、実はわざとらしく闘った。巫女たちもさかんに神託をもたらした。本書には、蒙古襲来の状況下、そうした神々が異様な闘いを展開していたという各神社の記録がいろいろ紹介されている。その記述には、これまでの中世史ではみえなかったいくつもの視点が提示されている」

話を戻すが、豊臣秀吉による太田城(現・和歌山城)の水攻めは1585年のことである。このときをもって惣が潰された。今宵はそれより約300年も前の話である。日本史において中世とは、一般的には平氏政権の成立(1160年代・平安時代末期)から鎌倉時代を挟んで安土桃山時代(戦国時代末期)までと目される。また南北朝時代(1336年~1392年)を挟んで中世前期と中世後期に区分される。よって今宵は中世後期の話なのだ。

神国日本において惣国から武家社会に移っていった歴史への気づきが大事だという学びであった。
[2013/10/30 01:06] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊108夜 『絶対安全剃刀』 高野文子
手にとってびっくりした。漫画だった。

松岡正剛さんの記事をまず読む。
「「少女の気持ちってどういうもの?」って聞いたら、山口小夜子は「そうね、高野文子を読むとわかるわよ」と教えてくれた。小夜子がそのとき勧めたのは名作『おともだち』で、ぼくはただちにそれを読み、そしてますます少女が不可解になった。ますます魅力的にも見えてきた。それからというもの、ぼくの少女マンガの読み方が変わっていった。とくに高野文子と大島弓子については、まるで少女に関する哲学書のように読んだ。そういう少女世界について、いかにフロイトやラカンや河合隼雄や岸田秀が役に立たないかということは、すぐにはっきりした。おかげで吉本ばななが出てきたときは、そのルーツがすぐに見当がついたものだった。もっとも、これで少女感覚がわかったということはない。まったくぼくにはないものとして、ひたすら崇敬するだけなのだ。あいかわらず不可解なことは多く、首をひねることも少なくない。そのうちファッション感覚やモード感覚や人形感覚については、以前同様に山口小夜子に聞く。たとえばリボンを結ぶこと、ソックスをずらすこと、人形を抱えることもあれば蹴飛ばすこともあること、などなどである。一方、たとえば松田聖子が好かれもし嫌われもしながら少女のアイドルでありつづけたというような、ぐっと深い社会性については、ときどき萩尾望都さんに電話をしては、少女の秘密の一端を“解説”してもらう。が、そんなことをいくらしても、実はわれわれ男性は少女感覚のどんな本質も描けっこないのである。それをあざ笑うかのように軽々と証明しているのが、高野文子であり、大島弓子という稀有な才能なのである」

山口小夜子、高野文子(今宵の著者)、大島弓子、萩尾望都さんって誰? 山口小夜子はファッションモデル(2007年死去・享年57歳)。高野文子も大島弓子も少女漫画家だ。最後の萩尾望都(はぎおもと)も同様に漫画家。つまり松岡正剛さんは少女感覚なるものをこの人たちに教わっていたということか。

本著には表題の「絶対安全剃刀」を含め17作品が収められている。

松岡正剛さんの見かたはこうである。
「ここにとりあげるのは『絶対安全剃刀』という初期作品集で、高野文子の少女感覚が如何なく発揮されている。ほんとうは『おともだち』もとりあげたいのだが、誰かに貸したまま戻らない。標題になっている「絶対安全剃刀」(1978)は、高野文子が日本男児を心する二人の美少年に託してアンビバレンツな感覚を描いたもので、ここにはまだ本音がちょっとしか出ていない。それがいよいよ本領発揮となるのは「ふとん」(1979)と「田辺のつる」(1980)で、「ふとん」ではカジュアルな観音と遊ぶ少女の好き嫌いのはげしい感覚が、「田辺のつる」ではおばあちゃんになってまで生きつづけている少女感覚の怖い本質がずるずるっと引き出されている。とりわけ「田辺のつる」などは絶対に映画にはなりえないマンガ独得の手法もつかわれていて、ただただ感服させられた」

『おともだち』という作品集が別にあるようだ。「絶対安全剃刀」「ふとん」「田辺のつる」は読んでみた。少女感覚が描かれていると知っただけでも理解の助けになる。しかし何となくわかるような気もするがやはりピンとこない。

松岡正剛さんの解説は続く。
「しかし、これはまだまだ序の口なのである。「うらがえしの黒い猫」(1980)では、少女が日々の出来事のなかでどのように神話と多重人格をつくるかがあきらかにされる。ビリー・ミリガンの話なんぞよりもずっと淡々としているが、ずっと意味深長である。とくに幻想の中の黒猫の扱いは、とうてい少年が真似できないものになっている。フツーの女の子の感覚も描かれる。「うしろあたま」(1981)であろうか。これは残念ながら少年にもわかる。文子さん、このあたりのことは少年もうすうす感づいているのです。けれども、文子さんのようには描けないし、またたとえ小説やコントに仕立てようとしても、とうてい書けないものがある。それは「少女の勝手な混乱」というものだ。これは名作「おともだち」の主題でもあるのだが、われわれ男児には、その混乱の開始と錯綜のタイミングがつかめない。そして、そのぶん女性の中の神秘的な少女性なるものに、必ずまちがって惚れることになる。その、まちがって惚れることについては、藤村・鏡花・中也だって、ヘッセ・ブルトン・ブコウスキーだってわかっていることなのだが、それでもまちがって惚れるのである。その理由がどこにあるかはさだかではないが、ひとつはっきりしているのは、われわれ男児には、その「少女の勝手な混乱」をとうてい描けないということである。そして、それを描けるのが高野文子であって大島弓子であり、吉本ばななであって江國香織であるということになる。こうした少女感覚の絶頂は、本書では最後に収録されている「玄関」(1981)に結晶化する」

「うらがえしの黒い猫」「うしろあたま」「玄関」も読んでみた。男の僕にはこんな陳腐な言葉しか浮かばないが、少女特有の妙な感覚みたいなのを描いているのだなということには気づいた。こういう作品が多く読まれているのは、そういう“少女感覚”の需要があるということで、期待に沿う作品が描けるというのは、著者の高野文子さんには才能があるということでしょう。
[2013/10/27 17:11] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
追うぞ! 千夜千冊107夜 『カオス的脳観』 津田一郎
書いてあることが難しい。俄かに理解できない。

著者の津田一郎さんと松岡正剛さんは知り合いみたいだ。
「ぼくは、京大の富田和久研究室に学んで、日本で最初のカオス学ともいうべきを確立した津田一郎は天才なんだとおもっている。ああ、世の中に天才っているんだとおもったのは、このときが初めてだった。そうおもったのは、彼がぼくの元麻布の家に泊まって一夜をあかし、朝まで話しこんだときからだった。このとき津田君は「新しいマックスウェルの魔」を想定して彼のコスモロジーの図を一枚のペーパーの上に描き、それを鉛筆で何度もたどりながら新しい科学のシナリオ案を披露した。それからチューリング・マシンとコルモロゴフの確率論の周辺を散策しながら、ついには少年時代の記憶の話に及んだものだった。そのあいだ、ぼくもそれなりに勝手な話を挟んだのだが、津田君の話はつねに仮説と検証に富み、かつ一貫していた。いやいや、そのことをもって天才だとおもったのではない。そのひとつずつの話の発想の拠点に、天才のひらめきを感じたのである。本書はそうした津田君が、カオスを通して組み立てた脳のモデルに関する研究成果を、叙述にいろいろな工夫を凝らしてまとめたものである。小著ながらすごい起爆力を秘めている」

現在、津田一郎さん(60歳)は北海道大学におられるようで、複雑系脳科学・カオス脳理論者である。京都大学時代の恩師が富田和久先生ということか。カオスを軸に脳の動的な情報処理に関する見方を研究されている。カオスが脳内で重要な役割を果たしているということだと思う。

そのカオスというのが何なのか。松岡正剛さんの説明に耳を傾けてみる。
「自然界にはカオスという説明しがたい現象があるはずだ、ということを予見したのはアンリ・ポアンカレである。ポアンカレがそのような予見に達したのは3体問題といわれる天体力学上の問題を考察しているときだった。このときすでにポアンカレは、カオスが「超越的な知識あるいは情報の集合体」であることを見抜いていた。ところが、いざ科学者たちがカオスを観測しようとしてみると、そこにはかなり奇妙な性質があることが見えてきた。たとえば、決定論的な方程式をつくっても、そこから不規則な運動が出てくること、カオスを含むシステムを観測するときの僅かな誤差がシステムの非線形性によってシステムと同じくらいの大きさの誤差になってしまうこと、カオスには圧縮できる非周期的な無限列と圧縮できない非周期的な無限列とがまじっていること、カオスを数学的に説明しようとすると再帰性や自己言及性が発生してしまうこと、そのほかいろいろ奇妙な性質が見えてきた。カオスがこのような性質を見せるのは、カオスを観測しようとするからである。カオスにはどうも既存の科学での観測を拒んでいるようなところがある。われわれがコンピュータをつかって見ているカオスの軌道は、ひょっとしたらカオスの影ですらないかもしれないのだった。そこで津田君は、「カオスを観測する」のではなく、「カオスで観測する」という方向転換を考えた。そして、そのような転換を必要とさせるのは、カオスには「記述不安定性」ともいうべき特質があるせいだとみなした。記述不安定性はカオスの「予測不可能性」と「スケールの分離不可能性」によっている。この性質があるかぎり、カオスはカオスを自己記述はしてくれない。津田君は、カオスにおいては「得られたもので駆動する」という奇妙な論理があるのではないかとおもったのである」

松岡正剛さんの説明ではよく分からない。簡単に理解したいので、カオスとは予測できない複雑な様子を示す現象であると捉えよう。ただし予測できないとは決してランダムということではない。その振る舞いは決定論的法則に従うもののそう簡単には測れないものであると理解しよう。

最後は、津田一郎さんから直に学ぼう。
「脳は、はっきり決まった機能をもつパーツが集合することによって成り立っているのではなく、全体として機能することにより特異な機能をもつパーツが出現したものである。したがって、脳の可塑性(物体に力を加えて形を変えることすなわち歪みを作ったとき力を取り除いても変形がそのままになる性質.ちすなわち永久ひずみが生じて物体の形や体積が変化する性質)は各部分を統合するために必要なのではなくて、むしろ、背景の中で各部分が個別特異的な能力を発揮するように、再組織するために必要である。もしも、背景になんらかの変更が与えられ、機能単位の再編成が行われなければならない。このような再編成(reorganization)は時空間の様々なスケールで起こりうるであろう。このような一つの見方を、“動的脳観”と呼びたい」
[2013/10/23 10:54] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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