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追うぞ! 千夜千冊132夜 『青い花』 ノヴァーリス
今宵の松岡正剛さんはこのような書き出しである。
「読書というものには偶然が関与する。夜中に街を歩いていて、ふと見上げた星々の何に目をとめたかという偶然だ。いつ、どこで、どんな本に出会ったか。そのなかには、一連の星座をかたどる本のうちの一冊に出会うような偶然もある。たとえばドイツ・ロマン派にいつ出会えたか。これはその後の読書海図のひとつの運を決めている。彷徨する海上でどんな星に出会えたかということに近い。その星も、ゲーテでは大きすぎるし、ヘルダーリンではあまりに微に入りすぎている。ホフマンかノヴァーリスか、あるいはジャン・パウルかティークか。これらは北斗七星やオリオン座といった星座である。一度、目についたら全天はこの星座から始まっていく。ちょっと冬めく書籍の夜陰なら、アルニムかブレンターノというところ、これはさしずめスバルや猟犬座であろう。運がよければ最初からシュレーゲル兄弟という連星に出会うということもある。ドイツ・ロマン派に出会うこと、それは、読書においてどのように「夜の思想」に出会えたかということであり、どのように「夢」と「電気」と「彗星」を同時の刻限に観相できたかということを物語る。その同一刻限に見るロマン派の光景というものは、出会ってみなければ決してわからない結晶的な雰囲気というものを伝える。ぼくにはそれがノヴァーリスの『青い花』からだった」

本との出会いとはそんなものか。よく分からない。どうやら自分の人生でドイツ・ロマン派と出会わなかったようだ。ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」、シラー「群盗」など18世紀半ば以降のドイツ文学のことだろうか。

松岡正剛さんから一つの事実を教わる。
「ノヴァーリスには14歳で婚約したゾフィーという少女がいたこと、そのゾフィーはすぐ重病に罹って死んでしまったこと」

本書は愛の小説か。二部構成となっており一部は完結しているが二部が未完のようだ。表題は、主人公が旅の終わりに出会った女性が実は夢で青い花にみた顔であることを認識しこれこそ永遠の愛の原像がこの世にあらわれた姿であると知ったのか。

1801年、ノヴァーリスは満28歳で夭逝した。
[2015/01/06 18:20] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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