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追うぞ! 千夜千冊127夜 『ポケモンの秘密』 ポケモンビジネス研究会
ポケモンとは、ポケットモンスターという名称の、もともとは任天堂のゲームボーイのソフトである。ちなみにゲームボーイとはビデオゲーム機であり、ポケットモンスターは1996年に発売された。ピカチューは150を超えるモンスターの一つだ。偶発的に生れた151匹目のモンスターがミューのようだ。

松岡正剛さんは奇妙な体験を綴っている。
「ぼくの書斎に知らないうちにピカチューをもちこむ人がふえた時期がある。1995年から始めたパーソナル・メディア『一到半巡通信』にピカチューの愛らしさに負けたというようなことを書いたせいだった。ピカチューは福岡から羽田に帰ってきたとき、空港を出る手前でなんとなく振り向いたら、そこにいた。ぬいぐるみなど一度も買ったことがないのに、無性にそれを持ち帰りたくなった。家に子供はいないので、書斎に置いた。毎日見ているうちに、その“密かな関係”がおかしくて、そのことを『一到半巡通信』に書いた。すべてはぼくが撒いた種である」

1996年に発売されて以降、なんだかんだという仕掛けが施されて、2000年を待たずして4000億円を超える市場が創造された。

松岡正剛さんから開発事情を知る。
「ポケモンのアイディアはゲームフリーク社の田尻智が出した。町田生まれ。インベーダーでめざめた世代である。23歳で「クィンティ」というゲームソフトをつくり、ナムコがこれを20万本売った。それで会社をつくった。しかしポケモンには6年がかかっている。通信で交換するというアイディアは、田尻が少年時代に夢中だった昆虫採集から来ている。最初は「カプセルモンスター」という名前で、カプセルの中にモノを入れて自分のところからケーブルを通して、相手のゲームボーイにぽとんと落とすところを見せれば、あたかもケーブルの中を通ってモノが移動するのが実感できるだろうという、そういう計画だった。これにプロデューサー役の石原恒和が加わった。石原君はぼくが10年以上も前から遊んでもらっている若き友人である。一種の天才型のオタクで、いつもその時期の最前線の話題と機械と計画にしか関心をもたない青年だった。そのころは西武系のセディックという会社にいたが、当時すでにずいぶん“新品”やら“試作品”を見せてもらった。いまはクリーチャーズ社の代表で、ポケモン1000億市場の圧しも押されぬボスである。『コロコロコミック』にポケモンを連載させたのも、ポケモンカードをメディアファクトリーの香山哲に勧めたのも、石原君の手腕だった。ポケモンが石原君と田尻智によって生まれたことが聞こえてきたとき、ああ、これで石原時代がしばらく続くなと思ったことである」

キャラクタービジネスの成功事例として知っとくとよい。
[2014/09/28 13:05] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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