今宵、今年に入り凡そ25年ぶりに再会した夫婦と弊社阿倍野オフィスで歓談しました。大学時代ともに陸上部で汗を流した我々は平等に齢をとり今48歳となって、人生でもう残された時間はそれほど長くはないよねと言いあう時期に来たのかと思うと、深く感じ入るものがありました。
その対話での気づきです。 善きネットワークとは利他である。ネットワークには善いのと悪いのとがあるのです。利己で人とつながるのは悪いネットワークです。利他で人とつながっているときに初めてそのネットワークは善いものと言えるのです。ここで云うネットワークとは、平たく云うと、他人との人間関係です。 私は、いつの頃からか(おそらくは40歳を超えてからでしょうか)、いわゆる人づきあいというものに利他を大事と据えてきました。それ以前は、自分の器が小さかったのでしょうが、「人脈」という今の私からみればとても醜い言葉遣いを好んでしては、利己を前面に出してネットワークを広げようとしていたのだと思います。30代半ばに入ってからは、その自分の有り様に疑問を抱くようになり、利他の大事を徐々にではあったけれど自覚していったのだと思います。 今、自分の周りで不思議なことが起きています。私は、利己でネットワークに来たなと思う輩をすぐに見分けられるようになりました。だからすぐにセンサーが働いて、そういう方とは交わらない仕組みが今の私には出来あがっています。 ところが厄介なのが、表面は水のように無色透明に自然にす~っと出逢う人の場合です。さすがに私も区別がつかない。加えて、私は利己でネットワークしていすまので、そのような出逢いがあればその相手を大事にしたいという気持ちが沸々と湧きます。 本日歓談したご夫婦に諭されました。あなたが自覚的に区別がつかないとしても、本心が利己である人に対しては、あなたを守ってくれている力が、あなたをしてその相手に進んで距離を置かせるのだと。こう言われてハッとするものがありました。そうだったのか。 善きネットワークとは利他である。 この私の信じるところが常に守られるように、現実の人づきあいはできているのです。その夫婦にさらに教えられました。あなたの前からいなくなる人を追うな。その人のために純真で利他であったその確かな誠意があればそれで充分だと。 あべのハルカスにかけて、わが心、晴れやかなり。 |
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