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追うぞ! 千夜千冊46夜 『マルテの手記』 ライナー・マリア・リルケ
ライナー・マリア・リルケの登場。リルケは1875年プラハに生まれ、プラハ大学、ミュンヘン大学などに学んだ詩人・小説家です。

ちなみにプラハはいまのチェコ共和国。歴史をみますと、チェコ共和国は1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離し成立しています。そのチェコスロバキア共和国は、1848年にプラハ市民によるオーストリアに対し蜂起する民族独立運動に端を発し、第一次世界大戦終結後の1918年にオーストリア=ハンガリー帝国を解体させて誕生しています。リルケはオーストリアの人です。

多感で多才な人だったのでしょう。ロシアへも出かけモスクワでトルストイを訪れ多大な感銘を受けたりしたそうです。そして1902年に単身でパリに渡りオーギュスト・ロダンに出逢っています。またポール・セザンヌ、シャルル・ボードレールなどとも知り合い自身の芸術知性を深めました。

1910年、パリでの自身の生活を題材にしてこの小説『マルテの手記』を完成させたと云われています。「この仕事が終わったら死んでもいい」と語るほどこの小説に精力を注いでいたそうです。

有名なのは第1行目だそうで、
「人々は生きるためにみんなここへやってくるらしい。しかし僕はむしろ、ここでみんなが死んでゆくとしか思えない」(松岡正剛より引用)
私は大山定一訳(新潮文庫)で読んでいるので、こう書いてあります。
「人々は生きるためにこの都会へ集まって来るらしい。しかし、僕はむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」

そういうわけで松岡正剛さんの書き出しがこうなっているのですね。今宵はこの書き出しの意味がわかったぐらいでしょうか。
「久しぶりにパリに行って、慌ただしく仕事(平家物語についての講演)をして帰ってきたとき、同行した者たちから「松岡さんはまるで心ここにあらぬという感じでパリにいましたね」と口々に言われた。みんなでパリの街をあれこれ動いていたときの印象らしい。ある女性からは「まるで死に場所をさがしているようだ」とも言われた。みんな鋭いもんだ」

12夜『テスト氏』ポール・ヴァレリーの時も感じたのですが、パリに影響を受けた知性が云っていることって私にはまったく理解不能です。松岡正剛さんもそうですが、こういう人たちって養老孟司先生風に云うなら著しく“脳化”が進んでいて概念で遊んでいるというのか思索に耽っているのでしょう。松岡正剛さんはよく云っていました、「自分の考えていることを話しても世間からはまともな反応は期待できない」と。私は素朴に思ったものです。それはあなたの“脳化”がお化けみたいに進んでいるからです。難解なことでも普通の人でも理解できるように平易に説明して欲しいのです。

松岡正剛さんがこう述べていますが、さっぱり分かりません。
「これではパリは歩けない。ボードレールやコクトーをなんとかしても、リルケのパリが残響すれば、とてもぼくにとっては歩けるものじゃない。『マルテの手記』におけるパリ観察は、デンマークの貴族の家に生まれた無名詩人マルテが見たパリということになってる。リルケはデンマークの詩人たち、たとえばヤコプセンやヘルマン・バングが好きだったので、デンマーク生まれの若者を自分の分身にした。しかしマルテにとってのパリは、死ににくるための街なのだ。実際にも手記に登場するパリは、そこがノートル・ダム・デ・シャンであれオテル・ディユ病院であれ、明るいはずのチュイルリー公園ですら、なんだか死に方の見本のような細部観察で成り立っている」

リルケを読むなら、パリで陽気にはしゃいではいられないと松岡正剛さんは云っているのです。「そもそもこの手記は「僕は見る目ができかけているのだろうか」という疑問の萌芽から始まっている。そのうえで、ひたすら心を観察するという手記になっている」とも。

最高の知性の書いた作品の前に理解不能で絶望する私。ポール・ヴァレリーに次いでライナー・マリア・リルケの存在を知ったのみです。世界読書奥義はそれでも続けます。この記事を読んで下さった方、ごめんなさい。私にはこんな感想しか書けませんでした。
[2010/11/22 05:11] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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