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サヨナライツカ

残念だけど、いまいちでした。映画「サヨナライツカ」

原作にはこうあります。
「沓子の小柄だがセクシーな弾力のある肉体とは違い、光子は痩せていて身長が高かった」 中山美穂(沓子)の身体は弾力のある肉体には見えない(復帰意欲が本物ならば脱ぐでしょ本来なら)。石田ゆりこ(光子)は痩せていないし背も高くない。身体だけで言えばミスキャストかも。

光子が沓子と会いにくる? 一緒に写真を撮る? それを30年近く経って詩集にはさみ豊に持たせる? 沓子に消えて下さいと言う? まったく余計なことをしてくれたものです。

イ・ジョハン監督って何も分かっていないのではないでしょうか。この映画を韓国の人に見せるのか? 原作の光子の台詞である「私のいないうちにこちらで、何かやんごとないことがあったのじゃないかと思った」を大事にして欲しかったし、中山美穂の心の葛藤の演技を信じて欲しかった。この監督の下で誰が演出したのか知りませんが、ほんと余計なことしてくれています。

西島秀俊、第一部 好青年 は演技(沓子にはまるが別れなければ間に合わないという状況)が難しいのはわかる。しかしもう少し感情を表さないと原体験の沁み込みが見てとれないです。朴訥すぎます。

見せ場は、第二部 サヨナライツカ で、25年の歳月を経て、沓子は豊を迎える。サマーセットモームスィート(映画では違う名前になっていた)へ先導する沓子。瞳に涙を溜めているが、このシーンを最も楽しみにしていたけれど、中山美穂、役者としては稽古が足らん、あかんな、下手くそです。情感がもりあがるところなのに期待は充たされないです。でもミポリンの努力は伝わってきたので良く演技したと拍手を贈りました。

ノルマンディで二人が夕食するとき、老眼や手の甲のシミなど工夫しているのは伝わってくるけれど(館内では失笑あったが)、西島秀俊、やっぱり役者として未熟だ(彼も努力しているのは分かるけれど)。彼の演技ではミポリンが引き立たないです。というか第二部の西島秀俊の演技って目も当てられないのではないでしょうか。「25年の歳月を経て」を男の滲みでるもので表現せよと言っても彼には不可能なのかもしれません。

イ・ジョハン監督さん、あなたはストーリーや感情の意味を分からせようとしてくれたのでしょうが、ダメだ、この映画は原作の余韻を台無しにしています。最後のほうで、沓子がドレスアップするなんて誰も見たいと思っていないです。
[2009/12/22 00:10] | 映画 | コメント(0) | page top
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