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追うぞ! 千夜千冊121夜 『サルバドール・ダリが愛した二人の女』 アマンダ・リア
今宵も私の関心は低くどうでもよい選本のように思える。サルバドール・ダリと著者アマンダ・リアとはいったい誰なのか。そして二人はどういう関係なのか。それだけ知れば十分だろう。

松岡正剛さんの要約で事足りる。
「アマンダ・リアの、図抜けてスノッブで、大胆きわまりない感覚履歴を知らないと、この本はたんなるダリについての異常観察記のようにおもえるだろう。半分はその通りだ。なにしろ彼女は、奇行芸術の王様サルバドール・ダリが18年間にわたって傍らにおきたがった稀有な女性なのである。歳は40歳もはなれていた。ほんとうかどうかは知らないが、ダリは彼女と秘密結婚の儀式をあげようとさえしたらしい。18年も続いたのは、むろんダリ最愛の妻ガラも認めた“関係”だったからである。そんなダリ丸見えの立場にいた女性の観察記録が、おもしろくないはずはない。実際にも、ここにはダリの隠れたエピソードがいっぱいつまっている。たとえばダリの克明な油彩描写は、実はダリのアシスタントがすべて描いていて、そのアシスタントは階段の下のような小さな部屋に住んでいた、等々。しかし彼女は“ダリの情婦”でありながら“世界最初のディスコの女王”でもあった。彼女は、デヴィッド・ボウイとの同棲で有名を馳せ、いっときは「ほんとうは男ではないのか」とヨーロッパ中の新聞に騒がれた、あの“謎のアマンダ・リア”なのだ」

サルバドール・ダリ(1904年~1989年)はスペイン生れの画家でシュルレアリスムの代表的な作家として知られる。天才と自称して憚らず数々の奇行や逸話が知られている。1927年(23歳)でパリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら、シュルレアリスムの中心人物たちと面識を得た。1929年(25歳)夏にポール・エリュアールが妻とともにカダケスのダリを訪ねた。これが後にダリ夫人となるガラ・エリュアールとの出会いであった。ダリとガラは強く惹かれ合い1934年(30歳)に結婚した。

一方、アマンダ・リアは1946年に香港で生まれた(だからサルバドール・ダリと42歳差である)。父親はイギリス系フランス人で、母親はロシア人と中国人のハーフだという。南フランスで育った彼女は、早くから絵画や文学、そして黒魔術や錬金術に興味を持ち、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語をマスターするという非常に早熟な少女だった。ロンドンに移り住んだ彼女はチェルシーのナイト・クラブやバーに出入りするようになり、瞬く間に周囲の注目を浴びるようになる。個性的な容姿そしてまだ誰もミニ・スカートをはいていない時代にマイクロ・ミニのスカートで闊歩する長身のアマンダは非常に目立つ存在だった。そんな彼女と親しくなったのが、当時スーパー・モデルとして注目を浴びていたアニタ・パレンバーグで、アニタを通じてローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズと知り合う。そしてそのブライアン・ジョーンズを通じてサルバトール・ダリと出会うこととなったのだ。ダリはアマンダを一目見て夢中になり、アマンダもダリの摩訶不思議な個性と才能に心酔する。二人の仲はダリの妻ガラも公認するところとなり、ダリは行くところ常にアマンダを伴うようになった。アマンダはたちまち社交界の花形となり、ロンドン、パリ、ニューヨークと世界中のセレブたちから注目の的となる。

本著には1973年の二人のショット写真があった。ということはサルバドール・ダリが70歳あたりで、アマンダ・リアは30歳前でつきあっていたことがわかる。

松岡正剛さんの最後の〆の言葉を引用する。
「しかし、最初に書いておいたとおり、この本はアマンダ・リアを知るための一冊であり、これを通して60年代後半と70年代のパンク・カルチャーの一端を知るための、あまりにも雑然とした一冊なのである。いずれ誰かが外の目でアマンダ・リアを描いてほしいとおもうばかりだ」

訳者の説明の方がわかりやすい。
本書はアマンダ・リアというイギリス人の美人モデルで、美術専攻の学生が、奇行で世界中を煙に巻いていたサルバドール・ダリという天才と、ふとしたことから知り合い、愛し合った、誠に風変わりな回顧録である」
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[2014/02/02 16:46] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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