スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | page top
追うぞ! 千夜千冊119夜 『カラー自然ガイド・鉱物』 益富寿之助
鉱物図鑑かー。興味なしってところだが、このような本がどうして千夜千冊されているのかには気にかかる。また図鑑の類を出版している保育社がけっこう老舗なのだと知ったことは少し嬉しかった。

ところでどうでもよいことだが、松岡正剛さんの昔話に一寸付き合うことにする。要するに中学のときに鉱物に動機づけられたという話のようだ。
「京都の初音中学校で入学してすぐに「化石鉱物倶楽部」というものに入った。正式にはたしか「郷土部」といったようにおもうが、みんな化石部とか鉱物部とよんでいた。このクラブは1年をすぎると、「科学部」というまことしやかなものに昇格した。かえってつまらなくなったようにおもったが、ぼくもそのまま昇格した。おまけに、そこではクラブ担当の先生(吉田先生という名前で“チョーク”という徒名)がいつも白衣を着ていて、われわれに科学実験をするように勧めた。ぼくはそれも嫌いではなかったので(なんてったって、ずっと誠文堂新光社の「子供の科学」を購読していたのだ)、さっそくいろいろな実験のプランを出して、それが先生に認められると実験にとりかかった。ガリレオの落体実験の“もどき”や校内の細菌を培養して分布図をつくったのがそのころである。なぜだか、京都全域の科学実験コンクールにも学校代表で出ることになり、3位かに入賞した(このときぼくと一緒に発表した友人は、いま京都で最も有名な茶道具屋の大番頭になっている)。けれども、ぼくがそのころ一番好きだったのが、鉱物や化石だったのである。1年のときにハンマーやルーペや磁石を揃えて夢中になった鉱物化石採集の日々が忘れられなかったのだ。そのころ、採集してきた鉱物や化石は学校の図書館で調べるか、先生に尋ねればよかった。保育社と北隆館の大きめの図鑑だったとおもう」

著者の益富寿之助について、次の松岡正剛さんからの情報で初めて知った。
「さて、本書はまことに可憐な文庫本サイズのガイドブックなのだが、まず「益富寿之助」という名前がすごいのである。この名前は鉱物派のギョーカイでは富士山のように燦然と輝いている名前で、「マストミ」の名を知らない者はモグリだということになっている。財団法人益富地学会館をおこして、長らく理事長を務めておられたが、1993年に亡くなられた。「昭和雲根志」という仕事もされた。ぼくはいまでもよくミネラル・ショーのたぐいを訪れるが、そこにはたいてい益富寿之助老人の姿があった。京都の出身でもあった。次に、この可憐な一冊には冒頭に次のようにあって、これがたまらない。「鉱物にはいろいろのものがある。そのなかで、水晶ほど見る者に感動を与えるものは少ない。ことに少年たちが水晶を見ると、何か先天的に水晶にあこがれをもっているような興奮をあらわす」。この文章を読んで、少年は鉱物派になることを決意するだけではなく、自分がミネラリストになったことに自信をもつ。そうか、水晶がかっこいいと思うだけで、ぼくも鉱物の世界とつきあってもらえるんだという喜びなのだ。実査にもこのガイドブックは水晶・石英系を中心に少年のための鉱物学入門を案内してくれている。書かれている文章はけっこう高度だが、その「心」がひしひし伝わるようになっている。これがマストミ・パワーというものなのである」

それだけの話で学ぶものはあまりなくつまらないなというのが感想だ。著者(益富寿之助)は、鉱物学をマスターするには、読書と採集と多くの標本を見たり、手にとっていろいろと試したりすることであると述べている。こういう世界もあるのだという認識ぐらいで今宵はお仕舞いとしよう。
スポンサーサイト
[2014/01/15 00:50] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。