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追うぞ! 千夜千冊116夜 『中国山水画の誕生』 マイケル・サリヴァン
今宵は重たい本だ。そして内容は難しい。著者マイケル・サリヴァンが本書を著したのは1962年のこと。ハーヴァード大学にて中国美術史を専攻し本書にて博士号を得たと書いてある。

松岡正剛さんはマイケル・サリヴァンをどうも嫌いのようである。以下ぐだぐだと書いてあるが要するにマイケル・サリヴァンってやつは好かんと云ってるのだろう。
「ここに紹介する一冊も、実は満足できる一冊ではないのだが、やはりマイケル・サリヴァンを土台にして、次の一歩は自分でしるさなければならないのだという覚悟を決めたという記念の意味で、ここに紹介しておく。サリヴァンはのちに『中国美術史』で一世を風靡した美術史学者である。ハーバード大学で中国美術史を専攻したが、その前にケンブリッジ大学では建築学を、ロンドン大学で中国語を収めているエリート中のエリートだ。本書はそのサリヴァンが学位論文で書いたものが下敷きになっている。ところが、ぼくはこの手のエリートが嫌いで、仮にそのエリート教授が書いた本があっても、これをわざわざあとまわしにする悪いクセがある。サリヴァンの『中国美術史』もそういうクセで放っておいたまま、かわりに、上にあげたような面倒なものばかりを漁っていた。そのほうがエリート思考のクセがつかないからである。このようなことはケネス・クラークにもあてはまる。クラークの『風景画論』は本書と並ぶ美術史のバイブルのひとつであるが、ぼくはこれを嫌ってずうっと読まないでいた。そのかわりにジョン・ラスキンやシャルル・ボードレールの批評を読んでいた。また、下村寅太郎さんとレオナルド・ダ・ヴィンチ談義をかわしたり、ウィリー・サイファーのルネサンス論を読んでいた。同様に日本人の西洋美術論ものも土方定一や植村鷹千代をできるだけ避けた。高階秀爾でさえ敬遠していた。こんなわけでサリヴァンを読むのが遅れたのだが、やはり『中国美術史』は退屈だった。そのため本書に対してもほとんど期待がなく、敬愛する中野美代子さんが訳したというので、読んでみたというのが実情だった」

松岡正剛さんの好みなんてどうでもいい。タイトルが『中国山水画の誕生』とあるのだから中国山水画ってものが要するに何なのかをかいつまめればそれだけでいい。ごく一般的には「山水画とは山や水といった個々具体的な表現素材を駆使して構成される全体としては理想的な山水の画でいわゆる風景画とは異なる」と解されている。

今宵は著者の言葉から中国山水画とは何かについて学ぼう。
「このような願望を充たす作品を生みだす中国の山水画家は、ただたんに自然の外観や目に見える姿を描写しているのではなく、自然に内在する生命と、自然を支配する調和をも描写しているのである。それゆえ、その作品はある意味で象徴的である。しかし、ヨーロッパのギリシア・ローマ時代の風景画が象徴的であるというのとは意味を異にしている。中国山水画の場合は、詩的引喩や神話的引喩がほとんど使われていないために、もっとひろい、もっとあいまいな意味において象徴的なのである。つまり、中国の山水画は、岩や木、あるいは山や川ということばをとおして語られた、中国人の人生観そのものにほかならない」

おぼろげな理解なれど。
[2013/12/27 21:14] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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