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追うぞ! 千夜千冊104夜 『哲学ノート』 レーニン
今宵の本家記事には初めて知ることが書いてあった。よくある松岡正剛さんの思い出の話や思い入れの類ではあるが、このような事柄に拘っていたのかという発見でもあった。

こんな感じのことが書かれている。
「見てもらえばすぐわかるのだが、本書には随所に「注意」「すばらしい!」「適切で深い言葉だ!」「正しい!」「マッハ主義と比較せよ」「こっけいだ!」といった書きこみから、大事な文章を囲んでいるところ、線・二重線・波線をつかいわけて強調しているところ、そして夥しい量の注解や見解のようなものが書きこんであるところが、ほぼ全面的に活字組で再現されている。つまり、レーニンの筆跡こそ再現されてはいないものの、レーニンがどのように本にマーキングをしたかはだいたいわかるようになっている。また、どんなノートをつくっていたかということもほぼ完璧に伝わってくる。こんな本は珍しい。むしろロラン・バルトこそこのようなノートを公表すべきだったとおもわれるような、それほどにユニークな本なのである。しかもぼくは、この本で初めて、世の哲人や学者や革命家たるものがマーキングをしながら本を読んでいるのだということを知ったのだった」

本著はレーニンの読書ノートである。ノートはヘーゲル(ドイツの哲学者・1770年-1831年)の『論理学』についての抜き書きとメモがいちばん多く約半分を占めている。レーニンがこれを書いたのは亡命先スイスのベルン滞在時1914-1915年であったそうだ。

言うまでもなく、ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年-1924年)はロシアの革命家・政治家である。帝政ロシア内の革命勢力をまとめ上げ世界で最初に成功した社会主義革命であるロシア革命において主導的な役割を果たした。ソビエト連邦およびソ連共産党の初代指導者を務め、マルクス主義(共産主義)理論の研究と普及にも尽力した。後日、マルクス・レーニン主義という体系にまとめられた。

レーニンは大の読書家であったそうだ。松岡正剛さんは次のように述べている(ていうか訳者である松村一人氏の解説文からパクっている)。
「もともとレーニンが読書に異常に熱心だったことはよく知られている。革命のさなかはともかくとして、1905年のジュネーブ亡命のときはマルクスとエンゲルスの全集を図書館に通って片っ端から熟読しているし、1909年にパリに亡命したときは、国立図書館までの距離が遠く、自転車で通うには危険が伴ったにもかかわらず、毎朝8時に起きて図書館に通い、いつも2時に帰ってきた。むろん自宅でもずいぶん読書に時間を費やしている。自宅では手元に本があったのであまりノートをとっていないようだが、図書館に通っているときはたいていノートをとっていた。本書に収録されている本も、そのほとんどがベルン図書館蔵のものだった」

カール・マルクスやエンゲルスから学びとった弁証法的唯物論であるが、弁証法というのが対立する考えをぶつけあわせ闘争させることによって物事を発展させていくやり方であると考えると、対義語である観念論と闘争しながら唯物論を発展させてきたということなのだろう。
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[2013/10/14 00:06] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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