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追うぞ! 千夜千冊109夜 『神風と悪党の世紀』 海津一朗
著者がどこの誰で今宵は何の話か咄嗟につかめなかった。海津一朗先生は現在和歌山大学内紀州経済史文化史研究所の方で中世史の研究家でいらっしゃる。

松岡正剛さんの記事を読んでもよく分からず不満であったが、海津一朗さんが制作された『秀吉の太田城水攻め』DVDを観る機会があり雑賀惣国のことをよく知った。惣とは、農民と地侍による地域ごとに自治的な組織であり、集落の周りに堀を張り巡らし外敵の侵入を防ぎ自分たちできまりを作って自分たちで運営していく村のことである。この惣国を織田信長・豊臣秀吉が滅ぼすのである。今の和歌山城は当時の太田城であった。雑賀衆太田党主である太田左近宗正は豊臣秀吉による水攻めに遭いこの城で自害している。

松岡正剛さんのこの個所だけ引用する。
「日本の支配者は彗星が接近しただけで変わることがある。執権北条貞時もそうして引退した。天人相関説による。地上の悪政があると、それが天上の彗星や流星や客星(新星)の出現をもたらすというものだ。このような日本に元(モンゴル)が攻めてきた。蒙古襲来(元と高麗の連合軍)は文永弘安の2度だけではない。サハリン・琉球・江華島などの日本近域をふくめると、1264年から1360年までの約100年のあいだ、蒙古襲来は繰り返しおこっている。こうした襲来は、為政者や神社仏閣のあいだでは「地上と天上の相関」によって解釈された。そうだとすれば、蒙古襲来という地上の出来事に対しては、天上の出来事が対応すべきであるということになる。それゆえ台風(暴風雨)によって異国人の襲来を撃退できたのは、まことに天人相関説の“実証”に役立った。が、実際には神風ばかりに頼ったのではなかった。地上で天上を扱っているともいうべき神社に祀られている神々も、実はわざとらしく闘った。巫女たちもさかんに神託をもたらした。本書には、蒙古襲来の状況下、そうした神々が異様な闘いを展開していたという各神社の記録がいろいろ紹介されている。その記述には、これまでの中世史ではみえなかったいくつもの視点が提示されている」

話を戻すが、豊臣秀吉による太田城(現・和歌山城)の水攻めは1585年のことである。このときをもって惣が潰された。今宵はそれより約300年も前の話である。日本史において中世とは、一般的には平氏政権の成立(1160年代・平安時代末期)から鎌倉時代を挟んで安土桃山時代(戦国時代末期)までと目される。また南北朝時代(1336年~1392年)を挟んで中世前期と中世後期に区分される。よって今宵は中世後期の話なのだ。

神国日本において惣国から武家社会に移っていった歴史への気づきが大事だという学びであった。
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[2013/10/30 01:06] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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