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追うぞ! 千夜千冊102夜 『父の時代・私の時代』 堀内誠一
グラフィックデザインとは、主として平面の上に表示される文字や画像、配色などを使用し、情報やメッセージを伝達する手段として制作されたデザインのことだから、ポスターや広告とか、映画・コンサート・演劇のチラシなどに活かされる。堀内誠一(ほりうち せいいち)は1987年死去(享年55歳)のそのグラフィックデザイナーである。

松岡正剛さんが本書を掻い摘んでいる。
「本書は、サブタイトルに「わがエディトリアルデザイン史」とあるように、堀内誠一の半生をエディトリアルデザインの仕事の編年的な紹介で埋めたものである。この業界のことに暗い読者には、おおいに蒙を啓くものとなるだろう。堀内は父のアート感覚の中で育った少年だった。父の堀内治雄がすでに図案家、すなわちデザイナーだったからである。その父は多田北烏の門下生である。キリンビールの広告美人や新高ドロップの犬に飴をあげている少年や『幼年倶楽部』の表紙は、すべて多田北烏の抜群のデザイン感覚が生んだものだった。多田が大正時代に滝野川に構えたサン・スタジオは、日本の最初のデザイン・スタジオだったとさえいえる。北烏はその後は童画家としても勇名を馳せた。たとえば『キンダーブック』の挿絵の多くは北烏の作品である。このことはのちに堀内誠一の中で蘇る。堀内は数々の雑誌のエディトリアルデザインで大成功をおさめたのちに、童画家としてすばらしい仕事をする」

父の堀内治雄、父の師匠である多田北烏(ただ ほくう)の系譜のようだが、多田北烏は日本のポスターデザインの先駆者であったようだ。

もう一度、松岡正剛さんに掻い摘んでもらおう。
「堀内治雄は多田北烏のサン・スタジオをまねてレインボー・スタジオをつくっている。本所向島にあった。長屋の中の一軒である。堀内誠一少年は、この下町のアートスタジオですばらしい少年時代を送る。ローセキによる地面の絵、ボール紙の宇宙、板切れに彫った英文字、人形劇のための小さな舞台装置、たくさんの製図道具。これらは少年堀内の恰好の夢工場だった。本書でいちばん読ませるのも、この少年時代の回顧談である。とくに上野不忍池で開催された「レオナルド・ダ・ヴィンチ博」については、ぼくはうらやましくなったほどだった。その堀内が商業美術にとりくむのは15歳で伊勢丹に入ってからである。ここで堀内は「エスクワイア」の新進デザイナーだったポール・ランドを知り、三岸節子の表現力に出会い、岩波写真文庫やコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』に憧れていく。しかし、実際に堀内を鍛えたのは連日連夜の百貨店催事の準備であった。体育学校にいた左幸子や新宿のバーにいた芳村真里や宝塚の松田和子をひっぱりだした水着ショーは、伊勢丹に始まった日本で最初のファッション・イベントだったし、堀内を雑学に溺れさせることになった「百貨展」も伊勢丹の名物イベントだった。本書を読むと、堀内がつねにどんなイベントにも熱心で、「シャボン展」「郷土玩具展」「発明展」「染織展」「原子力展」などの、未知のイベントのたびに成長していったのが、よくわかる。」

要するに、グラフィックデザインのセンスが堀内誠一に継承されてきたということだろう。これ以上は興味が無いので堀内誠一の作品を二三見てお仕舞いとしたい。

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[2013/09/09 09:04] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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