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追うぞ! 千夜千冊99夜 『シュトックハウゼン音楽論集』 カールハインツ・シュトックハウゼン
本著を手にとった段階でなにやら深いことが綴られている気配がある。いつもの通り気が重い。ところでシュトックハウゼンって誰なんだ?

松岡正剛さんの解説がある。
「本書は、聴くことが「欲望のままに聴くことになりはてた」と痛罵するシュトックハウゼンが、音を構造化することに挑んでいたころの、いまや古典とよばれているノートというべきものである。シュトックハウゼンは、音を構造化するにあたって、無矛盾的な関係の下に音を配することを構想した。そのときのコンセプトは「偶然」である。しかし、この「偶然」は厳密でなければならなかった。音はゲシュタルトをもっている。シュトックハウゼンはこれを作品のなかで使いたいのだが、その音は、ある作品Xのためだけに構造特性Xをもって、その作品Xの内部だけでゲシュタルトを発揮するようでなければならないのであった。偶然とはそういう構造のなかの偶然なのである。そして、そのように作曲する男、それがシュトックハウゼンだった。その後、「偶然」はジョン・ケージらによって徹底的に白日のもとに晒され、とくに現代音楽の謎とはならなくなった。しかし、シュトックハウゼンが残したものはそれにとどまらず、現代音楽のセリーの大半を、すなわちセリエルな本質を、支えつづけている」

コンセプトは「偶然」? さっぱり分からない。カールハインツ・シュトックハウゼン(1928年-2007年)はドイツの現代音楽の作曲家である。世界で最初の電子音楽を作曲し生演奏を電気的に変調させるライヴ・エレクトロニクス作品も手掛けたそうだ。

電子音楽って何? 松岡正剛さんの解説に耳を傾けよう。
「電子音楽というものの誕生日は1953年である。この1953年という年は、西ドイツ放送局のディレクターだったハンス・アルトマンの英断によって、ヘルベルト・アイマートを所長とする電子音楽スタジオがケルンに出現した年だった。スタジオと同時に青年シュトックハウゼンの、前代未聞の音の制作が始まった。そこでは、すべての器楽音によってつくられた音楽が放棄され、作品構造に従った音そのものの合成が始められた。それは演奏家を不要とする音楽の創造だった。電子音楽では、作曲家が数人のエンジニアたちと作品のすべてをつくってしまうからである。こうして一挙に世界に電子音楽が広まっていった。ミラノではルチアーナ・ベリオとブルーノ・マデルナが、アイントホーフェンではヘンク・バーディングスとエドガー・ヴァレーズが、ブリュッセルではアンリ・プスールが、ニューヨークのコロンビア大学ではウラジミール・ウサチェフスキーとオットー・ルーニンが、ワルシャワではコトンスキトクロイツとセロツキが、そして東京のNHK電子音楽スタジオでは黛敏郎と諸井誠が、それぞれ新しい音の合成とその構造化にとりくんでいった。みんな懐かしい名前である。当時、これらの名前は未来の音楽をつくる工房の若きマエストロのように、キラキラしていた。ミヒャエル・フェッターもその一群の青年の一人だった。シュトックハウゼンは電子音楽のシステムをつくったばかりではなかった。音楽における空間と時間の統合を試みた。また、『少年の歌』などを通して、統計的な場を作曲する構造そのものを音楽的に生み出すということもやってのけた。本書に、その制作プロセスが詳細に紹介されている。そのプロセスは実に厳密に偶然を生み出そうとしている。ぼくも本書であらためてその執拗な限定的作業の全容を知った」

今宵はお手上げかな(>_<) まったく歯が立たない。もしかして「欲望のままに聴くことになりはてた」からか?

松岡正剛さんの結びはこうだ。
「シュトックハウゼン。この人のもたらしたものは、まだ半分しか発展させされていないのではないかとおもわれる」

それほど難解だと云うことだから、そんなの僕に理解できる筈がない。
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[2013/07/24 09:20] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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