FC2ブログ
追うぞ! 千夜千冊97夜 『キャバレーの文化史』 ハインツ・グロイル
真っ先に目に飛び込んできたのは「キャバレー」という言葉であった。キャバレーってなに? 仏語でcabaretと書くと、ダンスやコメディショーなどパフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブを意味する。ただし日本でキャバレーと云うと、1960~70年代に流行ったホステスが客をもてなす飲食店のことを指す。つまりキャバレーの歴史起源はヨーロッパにあるということか。

松岡正剛さんは次のように解説してくれている。
「パリのキャバレーは、ミュンヘンやベルリンでは「カバレット」、ウィーンでは「カバレー」という。本書はそのキャバレーの歴史である。実に詳しい。もっとも、覗き見しておきたいのはそのすべての歴史ではない。キャバレー文化史が劇的に転換していく何ケ所かの劇的光景である。それをキャバレー・トピカとよぶことにする」

ヨーロッパのキャバレーの歴史そのものではなくて“キャバレー・トピカ”をみよと云われても、それの何が面白いのだろうか。

松岡正剛さんが、これはいつの話なのかを、こんな風に紹介してくれている。
「ロドルフ・サリの「シャ・ノワール」が開店したのが1881年11月18日。それから4年後の1885年にヴィクトル・マセ街に店の住所が移る。1888年には22歳のエリック・サティがセカンド・ピアニストとして雇われ、そして追い払われた。一方、元の「シャ・ノワール」の店は「葦笛」と名前を変えて人気を集め、そこではシャンソンの王者アリスティード・ブリュアンが唄いまくっていた。ついでマルティール街には「ディヴァン・ジャポネ」(日本の長椅子)が開店し、ここではのちに“ロートレックの詩神”といわれた“シャンソンの女王”イヴェット・ギルベールが登場した。このモンマルトルのキャバレーの興奮がドイツに飛び火し、フランスはフランスで「ベル・エポック」に突入したのである」

そんな古い話なのか。まったく私には関心も興味も湧かない。

松岡正剛さんの“キャバレー・トピカ”とやらの説明がよく分からない。
「第1のキャバレー・トピカは「シャ・ノワール」周辺にある。第2のキャバレー・トピカはベルリンである。(中略)第3のキャバレー・トピカはミュンヘンにある。(中略)第4のキャバレー・トピカはウィーンから東欧北欧に広がっていく道筋にある。(中略)1920年代以降もキャバレーは次々に開店し、また次々に閉鎖されていった。ここではその多芸な出店の過剰と乱舞についてはもうふれないことにするが、ぼくは本書を読みながら、あらためて「店」というものの治外法権的な魅力をたっぷり浴びせられ、心底、酩酊できた」

要するに、パリの「シャ・ノワール」を始点にキャバレーがヨーロッパ全土に拡がっていった。そして個性的な店が多かったということだろう。

きっと本著をじっくり読めば、当時のヨーロッパのキャバレーの実際はどんなものだったかが書かれてもいよう。でも、もういいや。読む気がしない。
スポンサーサイト



[2013/07/06 21:25] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
| ホーム |