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追うぞ! 千夜千冊96夜 『印度六派哲学』 木村泰賢
前夜とうってかわって今宵はとても難しい話だ。こんなの本家の解説らしきものがあっても紐解けやしない。

松岡正剛さんは次のように選本理由を述べている。
「それなのにこの本をとりあげたのは、たった一人で印哲の密林に分け入るときの、たいそう緊張しているのだが、なんだか身が引き締まって決然としている感覚のようなものが、いまでも蘇るからなのである。大正4年の古書の鬱然とした荘重性が、いまなお当時の感覚だけをよびさますわけなのだ」

追うぞ! 千夜千冊では、該当本は当然取り寄せている。いま机の上に本著があるが、(荘重性だなんて滅多に聞かない言葉だ。荘重とはおごそかで重々しいこと。また、そのさま)まったくその通りで古本の渋い匂いも漂っている。

松岡正剛さんはこうも云っている。
「この本はぼくがインド哲学や仏教哲学に入っていったころの最初の案内書のひとつである。大正4年の初版本になる。日本の仏教研究史に詳しい向きには、なぜ宇井伯寿でなくて木村泰賢なのかとおもわれるかもしれないが、たんに入手できたからにすぎない。こういう偶然はその後もあとをひくもので、ぼくはこのあとしばらく木村泰賢の全集を追いかけ、それなりのファンになる」

なんだ、偶然なのか。そうか宇井伯寿という人も仏教研究の大家なのか。

で、印度六派哲学ってなに?

松岡正剛さんの解説に耳を傾けよう。
「インド六派哲学とは、大乗仏教の勃興に対抗してヒンドゥ哲学派が世界と認識の根源をめぐって挑んでいった成果のすべてのことをいう。もっとも六派とはいえ、理論のサーンキヤ学派と行法のヨーガ学派は一対であり、ヴェーダンタ学派とミーマンサー学派はヴェーダを重視している点で共通性があり、論理学の開発にあたったニヤーヤ学派と自然哲学を研究したヴァイシェーシカ学派は、流派として同じところから出所した。またサーンキヤとヨーガとヴェーダンタはどちらかいえば唯名論であり、ミーマンサーとニヤーヤとヴァイシェーシカは実在論に傾いている。ここで唯名論とか実在論といったのは、これらの哲学派がそれぞれにおいて現象や物質の本質を追求していて、その追求にあたって原因と結果の関係を考えつづけていたことをあらわしている。すなわち、この追求には、「原因はそれ自体のなかに結果をもっている」とみなす因中有果論と、「原因はそれ自体のなかに結果をもたない」という因中無果論によって議論が分かれたのである。唯名派は因中有果論を、実在派は因中無果論の立場をとった」

さっぱり分からない。もう本著の内容をみるのは諦めた。ただし何をもって六派と云うのかぐらいは知りたくなって調べてみた。

第一類:
ヴェーダーンタ学派(宇宙原理との一体化を説く神秘主義)とミーマーンサー学派(祭祀の解釈)

第二類:
ヨーガ学派(身心の訓練で解脱を目指す)とサーンキヤ学派(精神原理・非精神原理の二元論)

第三類:
ニヤーヤ学派(論理学)とヴァイシェーシカ学派(自然哲学)

類内は、それぞれ対として補完しあう関係にある。
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[2013/07/04 00:25] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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