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追うぞ! 千夜千冊88夜 『ヴォーグで見たヴォーグ』 グレース・ミラベラ
松岡正剛さんの言い方は何か変だと思う。著者を褒めているのはよく分かるが、言葉遣いが奇妙な感じがする。
「こういう、あけすけで、ちょっと考えさせるような本が書けるようになるのが、アメリカの編集長の実力というものだ。「サイエンティフィック・アメリカン」のマーティン・ガードナーもめっぽうな凄腕だが、グレース・ミラベラも伊達じゃない。どう見ても、70年代のスタイル哲学の銃弾のほとんどは、彼女がピストルにこめたようなものだった。本書は、その名うての編集長ミラベラの「スタイルの編集とは何か」という、ヴィヴィッドでスノッブで、かなりインテリジェントだが、それでいてどこか色っぽいドキュメント。加うるに、女性ならではの編集闘病記でもある。こんな本が書ける女性エディターは、まだ日本には出ていない」

私は、そもそもヴォーグって何かさえも知らなかった。VOGUE(ヴォーグ)とはファッション・ライフスタイル雑誌で、主に女性向けとされ、ファッション、ライフスタイル、デザインなどのテーマに関する記事を掲載しているそうだ。アメリカを本国とし世界18カ国とラテンアメリカで出版されている。グレース・ミラベラはVOGUE(ヴォーグ)編集長だったわけだ。

VOGUE(ヴォーグ)の創刊は1892年で今ではアメリカだけではなく世界を代表する老舗ファッション雑誌となっている。創刊以来百年以上だが今でも本来のクラスマガジンとしての姿勢をつねに堅持している。1950年代にはジェシカ・ディヴス、60年代にはダイアナ・ヴリーランド、そして70年代から80年代にかけて著者のグレース・ミラベラ、そしてその後のアナ・ウィントゥアーに至るまでVOGUE(ヴォーグ)は名物編集長を輩出してきたようだ。なおグレース・ミラベラはVOGUE(ヴォーグ)を含めて編集長を40年間務めたベテランであるそうだ。

松岡正剛さんの要約をみてみよう。
「ミラベラはそれまではデパートに勤め、ついで「ヴォーグ」の下積みをやり、アメリカで最初に有名になったファッション・エディターのダイアナ・ヴリーランドのアシスタントをしばらく経験していた。本書を読んでみて初めてわかったが、このヴリーランドに仕えた経験がかなり大きかったようだ。それはそうだろう、ヴリーランドはファッション業界では最も伝説的な編集長である。もともとは「ハーパース・バザー」の独創的なファッション・エディターで、デザイナーのホルストンを発掘し、写真家のリチャード・アヴェドンらを次々に育てあげたのち、「ヴォーグ」にやってきた。やってきたとたん、この雑誌を根底からすっかり変えた。それまでの「ヴォーグ」編集部はまるで優雅なタレント・プロダクションのように、とびきりの美女を揃え、すり足で歩き、夢のような社交性を謳っていた。それをヴリーランドは一日で一新してしまったのである。翌日から、あいかわらずヴリーランド以外は美人ぞろいではあったらしいのだが、編集者たちはヴリーランドに憧れはじめ、飛ぶようにヴォーグ・ビルを歩くようになっていたという。こうして、マリー・クワントのミニスカート、モッズファッション、ヴィダル・サスーンのカッティング、そしてビートルズのロック旋風をもって鳴る“黄金の60年代”と“水瓶座の時代”とが、「ヴォーグ」によって象徴された。ヴリーランドは、ファッションの創造というものを、完璧主義と直観主義と「金に糸目をつけないで目標を遂げること」というポリシーによって実現できると考えていた“鉄の女”だったのだ。日本の広告界に、ファッション・フォトグラファーの徹底した表現主義に左右されていった時期が長く続いたものだったが、それはほとんどヴリーランドのせいである」

そうか前任の編集長のダイアナ・ヴリーランドと云う人が凄い人だったのか。

もう少し松岡正剛さんに耳を傾けてみよう。
「そのヴリーランドにも衰えがやってきた。というよりも、長すぎたベトナム戦争に疲れたアメリカが変わったのだ。そして、いっせいに女性たちがビューティフル・ピープルに背をむけて、生身の女性に戻りたがっていた。そこに突然、編集長交代の命令が降りてくる。グレース・ミラベラに白羽の矢が立ったのである。ヴリーランドに夢中になりつづけていたミラベラは、この唐突な人事におおいに悩み、そして敢然とこれを引き受ける。世界が彼女の手に落ちてきたのだから、だれを裏切ろうとも、断る手はなかったのだ。さいわいなことに、ヴリーランドの考え方に対しては時代が幕を下ろそうとしてくれていた。ミラベラは、女性たちがセパレート・ドレッシングやデイタイム・ドレッシングに向かいつつあることを、ようするにシンプルライフに移行しつつあることを敏感に嗅ぎとり、「ヴォーグ」のファッションを理性に訴えかけることにした。「ヴォーグ」は創刊以来、正真正銘のクラスマガジンであって、一度もファッション雑誌を狙ったことはないのだが、刺激と流行がこの雑誌の編集方針であることには変わりはなかった。このときもミラベラは、新たな女性のクラスを刺激し、そのクラスの拡大に努力した。しかし、その刺激は理性に矢を放ち、その流行は自分の体や部屋にフィットするものだった。かくてドレスアップ・ファンタジーが終焉し、リアルライフ・スタイルの追求が始まっていく。ミラベラの編集哲学は女性たちによる「スタイルの獲得」にしぼられたのである。
 ミラベラは、女性に「男性のために美しくなりましょう」とは言わないと決めたのだ。周囲に目を開き、もっとスタミナをつけ、いいものに目をつけ、男から選ばれるのではなく男を選び、ねえ、エネルギッシュに生活しようよ、と提案してみせたのである」

このように編集長の強烈な個性が雑誌の色を決め時代とファションをリードするのだな。それほどアメリカのファッション雑誌づくりにおいて編集長の権限と責任が重大であるということか。

松岡正剛さんは次の事実を拾ってくれている。
「これが「ヴォーグ」の売上を驚異的に伸ばしたのである。ミラベラが編集長になったときの部数は40万部、それが彼女が59歳で編集長を退くときには120万部になっていた。毎年5万部ずつ読者をふやしていったことになる。クラスマガジンとして、これは理想的で、最高の業績だった」

さて1980年代後半以降にも大変化が生じたのだろう。あとは知らない。ていうか話についていく気がおきない。今宵はこれでお仕舞い。十分学びはあった。
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[2013/06/16 17:08] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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