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追うぞ! 千夜千冊79夜 『菊坂ホテル』 上村一夫
何の話かと思いきや、かつて本郷にあった菊富士ホテルを、著者である上村一夫(かみむらかずお)が菊坂ホテルと名を変え、ここを舞台に様々な文士や芸術家が交流する様を劇画であらわしたものだと知った。上村一夫は、昭和61年に45歳で亡くなっている。代表作は『同棲時代』か、この『菊坂ホテル』だと言われている。

本著の主な登場人物で私が名前を知っているのは、谷崎潤一郎、今東光、菊池寛、芥川龍之介、斎藤茂吉、竹下夢二ぐらいか。

松岡正剛さんはこう書き始めている。
「大正8年前後が舞台である。笠井彦乃との恋を父親に裂かれた竹久夢二が、本郷の菊坂ホテルに投宿するところから、この劇画は大正浪漫の香りをゆっくり放ちつつ始まっていく。菊坂ホテルは菊富士ホテルのことで、葉山の日蔭茶屋で神近市子に刺された大杉栄が伊藤野枝としばらく隠れていたところであった。竹久夢二が『黒船屋』を描いたのもこのホテルだった。上村一夫が菊坂ホテルという名にしたのは菊富士ホテルが本郷菊坂台上にあったからだろう。わずかな時代の隙間におこったドラマは、その菊坂ホテルの八重子の目で描かれていく。菊坂ホテルは八重子の父が、大正3年に大正博覧会にくる外人客をあてこんで建てた洒落た洋館のホテルである。開業期にはいつも万国旗がはためき、ワルツが鳴っていた。それだけでなく、今日の日本がすべて失ったであろうドラマをもっていた」

12話もあるのか。長げ~。1話だけちょろっと読んだ。いきになり大杉栄って誰? アナキズムとは一般に、国家や権威の存在を望ましくない、必要でない、有害であると考え、その代わりに国家のない社会またはアナーキーな社会を推進する政治思想とされている。そうか大杉栄ってアナキストなのか。で、大杉栄は伊藤野枝との恋愛も始めながら、妻堀保子との結婚も続く状況下以前からの恋愛相手であった神近市子(かみちかいちこ)に刺されるという日蔭茶屋事件を起こしている。1923年(大正12年)に38歳で亡くなった。1話はそんな話題で始まっている。

菊富士ホテルについては、松岡正剛さんの解説に耳を傾けよう。
「上村の劇画を離れて、実際の菊富士ホテルのことをちょっと書いておく。これを経営していたのは羽根田幸之助という岐阜大垣の農家の次男だった。日清戦争開戦に沸く明治28年に一旗あげようと上京して、ひとまず下宿屋をすることにした。下宿屋なら、できたばかりの東京帝国大学の学生目当ての本郷がいい。羽根田は夫婦で本郷弓町に目をつけ、二階建26室の「菊富士楼」を建てる。和風家屋だった。大正3年3月に島村抱月・松井須磨子の芸術座が『復活』をもって帝国劇場で派手なオープニングを披露した。劇中歌の「カチューシャの唄」があっというまに広がった。同じ3月、上野公園で大正博覧会が開かれた。博覧会は7月末まで続いて74万人が押し寄せた。「索道車」とよばれた日本初のエスカレーターが登場し、人気を集めた。外人客も多かった。羽根田はこれをあてこんで「菊富士楼」の隣に洋館を建て、ホテルにしたのである。地上3階地下1階、30室の部屋。旧館とあわせて50室。洋室も和室もあった。屋上には塔を聳えさせてイルミネーションを飾った(靖国神社の鳥居より高いという噂がたった)。羽根田はこれらをぴたり大正3年3月にあわせて完成させ、開館にこぎつけたのだった。これが「菊富士ホテル」なのである。羽根田には3人の娘がいて、女主人のきくえを含めて、4人の美女がホテルを賑わせた。その三女が当時14歳の八重子である。上村はこのあたりのことはほぼ事実に沿って描いている」

そうか、かつてそういうホテルがあり人気があったのか。

で、松岡正剛さんは竹下夢二のことも説明してくれている。
「竹久夢二は大正7年11月から菊坂ホテルに2室をとって、画室と寝室にした。日本橋呉服町にたまきとともに「港屋」を開いてから4年がたっている。すでに港屋は潰れ、夢二は若い笠井彦乃に入れあげたのち、その彦乃も父親によって軟禁状態にされて恋仲を引き裂かれてしまったので、恋情のもっていき場のない心境になっていた。それでもモデルがいないと絵が描けない夢二は、藤島武二のモデルに飽きていたお葉に白羽の矢をたて、口説いて菊坂ホテルに連れこんだのである。そこで出来上がったのが黄八丈の女が黒猫を抱く「黒船屋」だった。菊坂ホテル40番で描かれた。そこには彦乃とお葉の面影が交じっていた。けれどもお葉は夢二に支配はされない。伊藤晴雨のところに出掛けて責め絵や緊縛絵のモデルもした。そんななか大正8年があけると、彦乃があっけなく病死した。夢二は脱力していく」

大正時代に生きた芸術家の雰囲気を著者は描いておきたかったのだろう。
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[2013/05/02 17:03] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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