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追うぞ! 千夜千冊68夜 『青い鳥』 モーリス・メーテルリンク
戯曲とは劇の上演のために書かれた脚本でありその形式で書かれた文学作品を云う。本著は戯曲である。私が事前に知っていたのはこのことのみだった。モーリス・メーテルリンクという人も知らないし、『青い鳥』と云えばチルチルとミチルと口から出てくるので小さい頃に誰かに教わったのかもしれないが、それがどういう物語なのかは皆目記憶にはない(教訓というのだったら薄ら頭にあるが)。

で、あまり関心もないので、今宵は早めに切り上げたい気分だ。

松岡正剛さんはと云えばモーリス・メーテルリンクをべた褒めしている。
「メーテルリンクの作劇術は尋常ではない。むろん用意周到であるけれど、それを感じさせないものがある。すべては指定され、指示され、物語の「からくり」や「しかけ」さえ見えるようになっているのだが、その術中にはまりたくなっていく。そこがメーテルリンクなのである。文芸の哲学なのである。おそらく、そこには人生の大半の感情がもりこまれている。どんなふうにもりこまれているかというと、むろん童話のような登場人物たちが交わす会話にちりばめられている。ところが、それぞれはかわいらしい会話なのに、その総体は哲学になっている。文芸の哲学であり、人間の哲学なのである。そこが忖度されている」

本著を読む気もしないので本家記事から物語の要約をみよう。
「この物語は、よく知られているように、チルチルとミチルが眠っているあいだの夢になっている。その夢に妖女が出てきて青い鳥の探索を依頼する。二人の子供は「記憶の国」で最初の青い鳥を見つけるが、これは籠に入れたとたんに黒い鳥になる。「夜の国」では大量の青い鳥に遭遇するものの、つかまえると同時に死んでいく。見えているのに捕獲はできない。つまりは、籠に入れても、つかまえるだけでも、ダメなのである。次の「森の国」では青い鳥が飛んでいるのに、つかまえられず、「墓の国」では死に出会って退散させられ、「幸福の国」では不幸という連中が邪魔をする。死を悼み、不幸に同情しては、青い鳥は見えなくなってしまうのである。こうして最後にたどりついた「未来の国」で、ついに青い鳥を生きたままつかまえるのだが、これを運ぶと赤い鳥になっていった。妖女との約束ははたせなかった。チルチルとミチルはしかたなく家に帰っていく。そこで目がさめ、隣のおばあさんが駆けこんでくる。自分のうちの病気の娘がどうもチルチルの家にいる鳥をほしがっているらしい。すっかり忘れていた自分の家の鳥を見にいくと、それはなんと青い鳥になっている。なんだこんなところにいたのかと、二人がその鳥を娘のところへもっていくと、娘の病気がよくなった。よろこんだ3人が、よかった、よかったと鳥に餌をあげようとすると、青い鳥はさあっと飛びたち、どこかへ逃げていった、とさ」

まぁ、常識程度には知っている青い鳥の教訓は、万人のあこがれる幸福は遠いところを探しても無駄でむしろそれはまったく日常生活の中にこそ捜すべきだという意味で理解しておいたら事足りるのではないか。

ちなみにメーテルリンクは人間の意識下の世界へ澄み入る詩人、霊魂の神秘をさぐる戯曲家として知られているそうだ。ほー。
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[2013/04/07 23:24] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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