FC2ブログ
追うぞ! 千夜千冊64夜 『城』 フランツ・カフカ
更新をまったくサボっている間に本家は1500夜達成を祝っている。これはいかんと思い再開します。だって追っているのですから(笑)。

松岡正剛さんは、いきなり、労働災害保険協会、フェーリッツェ・バウアー、オーストリア・ハンガリー二重帝国の説明を始めている。ふ~ん、それで? カフカはプラハ大学で化学とドイツ語を学んでいながらも、結局は法律学を専攻したけれども活かせなかったそうだ。それで労働災害保険協会に入ったらしい。そのときにかの有名な『変身』などを仕上げたみたいだ。

これ、いったいいつの話なのだろうか。調べてみました。「フランツ・カフカ(1883年-1924年)は、現在のチェコ出身のドイツ語作家で、プラハのユダヤ人の家庭に生まれた。法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、どこかユーモラスで浮ついたような孤独感と不安の横溢する夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した」とある。

松岡正剛さんはこんな話を書いている。「カフカの長編を読んでいたころ、ぼくはしょっちゅう別役実に会っていた。二人で碁を打ち、そのあと雑談をする。病気にかかるということのおもしろさ、人が人を待っているときにアタマの中で去来していること、事件はどこから事件なのか、「じれったい」はどこからじれったさがはじまっているのか、まあ、そんな話である。ちょっと話しては大笑いし、また話す。ぼくはそういう話題を「存在待機命題」とよんでいた。しかし、こんな話題では、たちまち雑談はカフカやベケットの話につながっていく。別役実はカフカの短編が気にいっているようだった。ぼくは短編のほうは高校時代や大学に入ってすぐに読みおえていたので、そのころは『アメリカ』『審判』と読んできて、ちょうど『城』にさしかかっていた。『城』のことをおもうと、別役実の咥え煙草が浮かんでくるのは、そういう事情なのだろう。」

また、ふ~ん、それで? っていう感じである。どうでもいい話だな。

松岡正剛さんが本著を要約してくれているので一応は聴いておこう。「『城』の主人公は測量技師のKである。Kは、ある城の伯爵に測量のために招かれたはずなのだが、その霧深い村だか町だかに訪れたそのときから、いっこうに城のありかがわからない。城はすぐ近くにあるのに、まことに遠い。この、なかなか近づけない城というイメージは、読者をすぐさま神の畏怖のメタファーに連れこむが、そのわりには「存在待機」が長すぎる。話はだらだらと「村」の中でつづきあい、筋とは関係のなさそうなエピソードも無縁仏のように入ってくる。城に招かれながら、城にたどりつけないK。そこには「場所」というものと、「存在」というものを、それぞれ根本で問う構造がある。ところが、カフカの『城』は、その構造をすら描かない。そこは、構造が描けない場所であり、そこにいるKは構造を問えない存在なのである。これはまさしくカフカが生まれた国のようであり、カフカがうけついだ血のようであり、カフカが就職した労働災害保険協会のようである。」

とまぁ、そんな話なので、本書を読むぞって気がおこらない。

松岡正剛さんの言い分だと、「こうして、何もおこることもなく、『城』は終わってしまう。未完とはいえ、文庫本でも552ページである。読後にはなにも残らない。しかし、それがフランツ・カフカなのである。そう考えたとたん、カフカの作品を“発見”した文学界と思想界は大騒ぎになったのだ。カフカはいくつかの短編を除いて、長編をふくむすべての作品を燃やしてしまうように遺言して死んだのだが、友人のマックス・ブロートがそれを残したための大騒ぎである。戦後のカフカ・ブームはそうしておこったものだった。しかし、大騒ぎをしたところで、物語はなにも語らない。おまけにカフカはそのことについて説明もしなかった。そこにはただ、「届かないこと」「伝わらなかったこと」、そして「はじめからなかったかもしれなかったこと」だけが、ある。が、そのことが衝撃だったのである。そのように「文学」や「作品」をつかうことがなかったためだった。それはロレンス・スターンもおもいつかなかったことで、そしてアンディ・ウォーホルが真似したことだった。カフカが『城』で何をしたかといえば、「方法」を残したのである。」

まったく意味がわからない。要するに、フランツ・カフカという人はいつも不安の中にいながらも作家であろうとした。であるからこのような風情のものを残したってことだろう。学びはその程度でいいのではないだろうか。

はい、お仕舞い。
[2013/03/21 12:57] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
<<前のページ | ホーム |