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追うぞ! 千夜千冊73夜 『赤いろうそくと人魚』 小川未明
今宵は、小川未明と云う人をどう観るのか、にあると感じられた。

小川未明 (おがわみめい ※正しい呼び方は「びめい」、1882年(明治15年)- 1961年(昭和36年))は、児童文学作家で、「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。

『赤いろうそくと人魚』は、文庫で15頁ほどの短編である。松岡正剛さんによれば、「大正10年、東京朝日新聞に『赤い蝋燭と人魚』が連載されたのである。いまなお未明の最高傑作といわれる」と紹介している。

その「最高傑作」であるが、読んでみたが、何か暗くネガティブなトーンなのだ。

松岡正剛さんが要約されているので、そのまま引用しよう。
「ある夜のこと、人魚のお母さんが神社の石段に赤ん坊を産みおとした。赤ん坊は町の蝋燭(ロウソク)屋のおばあさんが拾って育てることになった。老夫婦には子供がいなかったのだ。二人は娘をとてもかわいがった。娘は少しずつ大きく育ち、家の蝋燭に赤い絵の具で絵を描くのが好きになっていた。しかもその蝋燭がたいへんよく売れた。なんでも、その蝋燭でお宮にお参りすると、船が沈まないという評判なのである。ある日、南国から香具師(やし)がやってきて、娘が人魚であることを知った。そこで買い取って見世物にしようとした。老夫婦は最初はもちろん断っていたが、ついに大金に迷わされて娘を売ることにした。香具師は鉄の檻をもって娘を迎えにくるという。娘は泣く泣く最後の蝋燭に絵を描いた。悲しさのあまり真っ赤な絵になった。娘は連れていかれた。その夜、蝋燭屋の戸をトントンとたたく音がした。おばあさんが出てみると、髪を乱した青白い女が立っていた。「赤い蝋燭を一本ください」。おばあさんは娘が残した最後の蝋燭を売った。女が帰っていくと、まもなく雨が降りだし、たちまち嵐となった。嵐はますますひどくなって、娘の檻を積んだ船も難破してしまった。そして、赤い蝋燭がその町にすっかりなくなると、その町はすっかり寂れ、ついに滅んでしまったという」

この作品の発表は、大正10年(1921)のこと。これが当時の日本の子供向けの童話なの? だから小川未明はその後、「未明童話は呪術的呪文的であって、未熟な児童文学にすぎない」という批判を受けたそうだ。

松岡正剛さんはこう評している。この文章はどう読んでも小川未明を肯定しているように思える。
「いま、小川未明は賛否両論の中にいる。どのように未明を読むかは、われわれ自身の判断にかかっている。ぼくはどう思っているかというと、次の未明の言葉の中にいる。「私は子供の時分を顧みて、その時分に感じたことが一番正しかったやうに思ふのです」

子供に頃に感激することって、大人になってから振り返ると、よくそのような着想をしたものだと驚いてしまうものもある。そして大方はネガティブな話に心が震えていたものだ(あくまで私の場合ではあるが)。

我が国に、このような童話作家がいたことを知ったのは収穫だった。
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[2011/11/18 12:16] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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