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追うぞ! 千夜千冊63夜 『重源』 伊藤ていじ
今宵は大そう興味が湧く。伊藤ていじ氏は、松岡正剛さんが最も尊敬する建築史家で、松岡正剛さんと仕事の交わりがあった方だと知る。本著は歴史もので、僧・重源(ちょうげん)の評伝である。歴史作家ではない著者が書いたものだから稀な作品と言えよう。

重源(1121年-1206年)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活動した僧である。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう)。東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たしたことで有名。それを材にとったものが本著。

松岡正剛さんの解説に耳を傾けよう。今宵の説明は実に分かりやすい。
「(重源が)59歳のとき、平重盛によって南都が焼き払われ、東大寺が落ちた。そこで再建が課題になった。華厳国家の象徴がないままでは困る。当時、ナショナル・プロジェクト規模の寺院や神社の建造・再建・修復には、たいていは「成功」(じょうごう)あるいは「造国」(ぞうこく)という制度がとられていた。「成功」は国費によって主要財源をまかない、そのプロジェクトの任官希望者を募る。希望者は任料をおさめるか、ないしは自己負担を辞さずにプロジェクトにあたる。そのかわり官職を入手できる。「造国」は受領国司に財源をまかなわせ、国司は任国内の税物を加徴できるようになっている。これはうまくすれば収入の一部を私物化できるので、希望者も多かったらしい。このほかの方法もある。それがNPOを募るというやりかただった。これを「知識結」という。各所に「知識」(仏の功徳を得るために私物を提供する人々のこと)を結び、これをネットワークする「勧進聖」を募って、これらを縦横に組み立てながらプロジェクトを進めるという方法である。そのリーダーを「大勧進」といった。大勧進は事業計画のすべてをまかされ、立案と予算の執行権をふるうことができ、知識物(これらは進退・進止とよばれた)を自由に差配することができるものの、いっさい無報酬となる。東大寺の再建は、この3つ目の方法の「知識結」をつかって進められることになった。そこで大勧進に選ばれたのが、61歳になったばかり(1181)の重源だった」

『重源』の醍醐味は、この僧が動かしたネットワークにある。

松岡正剛さんもその辺りを指摘している。
「実はそれはまだしも一面のことであって、本書が随所であきらかにしているように、重源の活動は中世日本のネットワーク構造を利用し、ゆりうごかし、ゆさぶるものでもあったし、そこに行使された数々の経済手段はあまりにも独創的なものだった。重源は人の動かし方にも異能を発揮した。最も有名なのは、重源の3歳年上だった69歳の西行に砂金勧進のための奥州めぐりを頼んだことであるが、それ以外にも実に多くの公家・武家・僧侶・工人が動員されている。本書は、むしろそちらのほうの重源の活動を伝えてくれている」

伊藤ていじ氏がどのような思いで『重源』を書いたのか。著者の言葉に耳を傾けてみよう。
「私が読みとったひとつの事は、もし宗教的善行(作善、さぜん)が極楽往生の目標であるとするならば、かくも大量の作善が必要だったとはとても思えないことである。作善は多ければ多いほどよいのだろうけれど、これはあまりにも多すぎる。そこで私は想像した。彼が手にしたかったのは、常に右往左往しながら自らの存在を確かめ、「時の流れ(過程)」のなかで、人間として充実した人生を持ちたかっただけのことではなかったのか」

伊藤ていじ氏は作家でないため、文学的な表現などは少なくて、明晰な言葉遣いをする人のように思える。本著は優れた歴史の教科書に思える。
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[2011/11/01 22:50] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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