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追うぞ! 千夜千冊60夜 『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎
『陰翳礼讃』って難しい漢字四文字が並んでいるが、何と読むのか。それさえも知らなかった。いんえいらいさん。ふつう陰翳を礼讃すると解すだろう。礼讃は、立派だと崇め讃えることだから、問題は陰翳とは何かということである。陰翳とは、かげとかくもりという意味であり、転じて、含みや深みのあることとなる。「陰翳に富む」というように用いる。

今宵の松岡正剛さんの記事は普段とは違って、本著を悪く書いてある。谷崎潤一郎の日本趣味の解説ぶりが気に入らないとある。小説ならばまだ許すが、エッセイで「日本」を語るとダメなのだと強調してある。その最たる例がこの『陰翳礼讚』らしい。

松岡正剛さんの言い分に耳を傾けてみよう。
「内容は日本家屋がもっている「うすぐらさ」を称揚するもので、それを説明するのに日本家屋の不便さをあれこれ引き合いに出している。谷崎が言いたいことは、煎じつめれば「薄明」と「清潔」の両立に日本の美意識が発端しうるということなのであるが、そこをけっして日本的には説明していない。下手なのだ。文章もうまくない。左官の鏝が右往左往している。たとえば、漆器の美しさは闇が堆積しているところにあるという指摘は、その通りである。が、そのことを説明するのに、漆器の闇が文章そのものになっていないのだ。どうした谷崎、なのである」

『陰翳礼讚』の一節である。
もし日本的建築を一つの墨絵に譬えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。

松岡正剛さんは続ける。
「この文章もへたくそである。巧妙とは何事か。谷崎がえらびきった言葉とはおもえない。後段、「いったいこういう風に暗がりの中に美を求める傾向が、東洋人にのみ強いのは何故であろうか」というくだりに入ってからも、谷崎のペンは冴えない。日本のお化けと西洋のお化けを比較したり、混血の話などをもちだして、話をぶちこわしてしまっている。(中略)『陰翳礼讚』という文章をもって、谷崎が日本の美学や日本の美意識をなんとか説明してくれたなどとは、おもわないほうがいいい。むしろ谷崎潤一郎が『陰翳礼讚』で「お茶を濁してしまった」ということが、その後のツケになっていたというべきなのである」

松岡正剛さんの今宵の記事を読み、『陰翳礼讚』を読み込むのが馬鹿らしく思えた。だからちらりと頁を繰った程度である。

学ぶべきことは「仄暗さ」というものだろう。今の電気照明はこの頃の明度と比較すると明るすぎる。この認識が大事だと思う。

解説で吉行淳之介さんが、京都で芸者を見ていて厭な気分になることがあるという。それは、真白に塗った顔から覗く歯が黄色くみえることらしい。不潔にも思えるし、薄気味わるいし、美しくないと言う。吉行淳之介さんは『陰翳礼讚』を読んでいるときにハタと気づいた。芸者のあの化粧は、わが国の照明がまだ燈台とか行燈によっていて部屋が仄暗かったときのものに違いないと。

陰翳は、仄暗さにあり。そこにあった日本美を谷崎潤一郎は書きたかったのだが、松岡正剛さんに下手くそ呼ばわりされてしまったということなのだろう。

どうでもいいことではないか。今宵はこれでお仕舞い。
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[2011/10/29 20:26] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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