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予定せぬこと
予定することを現実化させる力(以下、予定力と呼びます)は、ある時期までは一般に年齢に正比例します。会社の例をとりますと、新入社員より部長の方が予定力は高いし、その部長より経営者の方が予定力はより高いです。

これは、単純に言ってしまえば、時間を支配する力が基本としてあり、そこにさらに自分の目的達成のために環境諸条件を調整していく力が備わっているということです。予定することを現実化させることは機能です。マネジメント原理の一つでしょう。

では表題にある「予定せぬこと」とは何でしょうか。その考察をしてみます。結論から述べますと、「予定せぬこと」は味わいであるということです。近頃、私はやっとこの境地に辿り着きました。

社会人になり若造と呼ばれていました頃は、自分の予定力の無さに呆れていました。要するに、何事も自分の思い通りには運ばないということです。いつも自分以外の誰かの予定力に翻弄されているという感じです。その私が成長し(企業在籍中は昇格・昇進し、独立してからは社長を務めるなどして)社会的に影響力を持ちますと、少なくとも自分事については、ほぼ完全に予定力を発現させることができるようになりました。

それでも実際には「予定せぬこと」が起こるのです。予定力が高い人ほど「予定せぬこと」は不快に感じられます。だって「予定せぬこと」は私の中の秩序を乱す要因でしかないのですから。

このとき人のネガティブな対応はおおよそ次の3つでしょう。①癇癪をおこす(イライラする、怒る、落ち着かないなど)、②その事態から逃げる(放置する、あえて忘れ去ることもある、距離を置くとか)、③他人の責任にする(自分の心のざわつきや痛みに耐えきれず)。

さてここで大胆に、人が予定することなど所詮は浅知恵であると考えてみてみましょう。目的を充たすために意志をもって行動したとしても、それはあくまでも人界発想※であって、天界発想※(森羅万象の宇宙)からすれば一つの秩序にすぎません。「予定せぬこと」を天界発想※で観ることが、仏教で云う「縁」を感じることに他なりません。私はやっとそう思えるようになりました。 ※「人界発想 天界発想」 この言葉は私の造語です。

それでも原則は常に予定力を発揮し成果をだしておくことです。そうであったとしても「予定せぬこと」は起こるのです。
そのとき、
①あるがままに現実を受けとめて下さい。
②こういう現実もあるのだと興味をもって下さい。
③この事態に適応する快適な自分を想像してみて下さい。
それが「予定せぬこと」は味わいであるとする第一歩なのです。

ご承知のように実際には「予定せぬこと」が起きますとネガティブ心理が襲ってきます。とにかく悔しいのです。私もまだまだ未熟な身ですのでこの心に襲われます。そうだしても現実に起こることは常に威風堂々としています。それ自体で秩序なのです。人間の方からそこにポジティブに意味づけをしていくしかないのです。


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[2011/08/24 03:28] | 未分類 | コメント(0) | page top
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