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追うぞ! 千夜千冊54夜 『近世数学史談』 高木貞治
高木貞治という数学者を初めて知りました。なんと自分は無知なのだと呆れています。明治8年岐阜生まれのようです。

松岡正剛さんが、「岐阜の人は(古田)織部と高木と、そして久松真一を誇るといい」と書いています。誰ですか、その古田織部、久松真一という人らは。この辺りから少しでも学んでおこう。古田織部は茶人。それはうっすら知っています。久松真一という人は東洋哲学者です。このように岐阜から3人偉人がでたということでしょう。

高木貞治は帝国大学理科大学(現在の東京大学理学部)数学科へ進学したようです。卒業後にドイツへ3年間留学しヒルベルトに師事し多大な影響を受けたと記されています。

どうしてドイツへ留学したのか。ヒルベルトって誰なのか。また知らぬことだらけ。ダフィット・ヒルベルトはドイツの数学者で「現代数学の父」と呼ばれる偉人で、多くのそういう数学会の偉い人らが当時のドイツにいたのでしょう。

松岡正剛さんはこう述べています。「ところがベルリンの日々は高木にはつまらなかったようだ。明治33年にはゲッチンゲン大学に移った。1900年である。この年は日本の「洋行の歴史」とでもいうべき視点でみると記念すべき年で、漱石がロンドンに入る前にパリ博覧会に寄り、竹内栖鳳もパリ博に行き、川上音二郎が貞奴をともなってニューヨークに出向いた年だった。しかし、このなかで漱石と高木はヨーロッパに驚かなかったのである」

端的に云えば、高木貞治は豪胆でドイツで何にも怯まなかったということでしょう。帰国後、高木貞治は整数論に取り組んだようです。整数論というのは整数の性質について研究する数学の一分野。私には何するものかまったくわかりません。

さて松岡正剛さんが、「ぼくがこれを読んで、「遊」のスタッフであった十川治江に勧めた。彼女は早稲田の理工学部を首席で卒業して、しばらく東芝にいて、それから設立したばかりの工作舎を手伝いにやってきた。以来ずっと工作舎を支えている。とくに数学が得意で、矢野健太郎のいじわるな出題などはほとんど淀まない。いつか工作舎を訪れた広中平祐が驚いていた」と書いているあたり以降は、なんのことなのかさっぱり分からず、どうでもよいことのように思えます。

学びがないと悔しいから「科学的愉快をめぐって(十川治江・松岡正剛)」と題された冊子を取り寄せ読んでみましたがまったく飲め込めません。

要するに松岡正剛さんが高木貞治に「スピリットや数学ダンティズム」なるものを感じた。高木貞治って優れた数学者だ。まぁ、そんな趣旨のことを言っているのでしょう。

それであいにく本著『近世数学史談』も何が書かれているのかちっとも分からず仕舞いです。ごめんなさい。
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[2011/05/03 18:31] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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