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追うぞ! 千夜千冊47夜 『魯山人書論』 北大路魯山人・平野雅章編
北大路魯山人って誰? きたおおじろさんじん。もちろんなんとなくは(本で読んだ程度には)知識はあります。しかし私が生まれた時にはもうこの世にはいなかった。北大路魯山人とは実際のところどのような人物なのか皆目分からないです。

松岡正剛さんはのっけからこんな書き出しです。
「魯山人をどう語るか。どう語れるか。これは日本の数寄文化をめぐる一種の踏み絵のようなものである。魯山人についての一言二言の感想を聞いただけで、たちまち当人のお里が知れるようなところがあるからだ」

そうか、少し本をかじった程度だとすぐにバレるということですね。

松岡正剛さんに教わりましょう。
「実は魯山人が、あたるところかまわずに、世の芸術品をなぎ倒していった。とくに陶芸・書芸・料理についてはうるさかった。それも魯山人がたんに批評家であるなら、それもありうることなのであるが、魯山人はまるで自分のつくるものが最高で、他のものはくだらないという立場を強固に押し出したようなところがあった」

そうそう、私も本書を読んでいて、一家言を持った頑固じいさんというイメージがあります。こんな文章がありました。

「書と人格は不可分であることを知らねばならぬ。ゆえに書を学ぶ一事は、直ちに自己の人格を達成するに役立つものであらねばならないはずである。書の善悪美醜は作者の人格の反映であって、技術上の巧拙に表われる美醜は、単に衣装の好し悪しに過ぎないと知らねばならぬ」

要するに誰が書くかが大事であってどう書くかなんてどうでもよい。そのように上から目線で一喝されているような気分になります。

松岡正剛さんこう述べています。
「そこまで押し出されると、人は怯むものである。それだけにまた、魯山人自身も激しい毀誉褒貶の中に放り出されることになる。が、魯山人自身はそういうことをして、いっこうに怯まなかった。まったく平然としていたし、傲然としていた。そのため、そうとうに魯山人の陶芸や書が好きな者でも、すこしでも魯山人の人物像を知ると、いささか身が引けるようになる。結局、魯山人はひそかに愛されたか、もしくは本気の批評の対象にしないように扱われてきたのだった」

魯山人は昭和34年(1959年)76歳で逝ったようです。その後、評伝が出ているようですが、定評があるのは白崎秀雄『北大路魯山人』だそうです(文芸春秋社 1971年 いま中公文庫となっている)。魯山人の評伝はこれ一冊で済むと知りました。

で、どうして北大路魯山人が書を語るのでしょうか。魯山人って書家なの? 陶芸とか食の数寄人ではなかったのでしょうか。

松岡正剛さんに教わると、
「さて、本書は魯山人が書いた本ではなくて、魯山人がさまざまな場面で喋ったり、綴ったりしたことを平野雅章がまとめたものになっている。もともとは五月書房が『魯山人味道』『魯山人陶説』『魯山人書論』の三部作に編集したものの一冊で、それが出たころ貪り読んだものだった」そうです。

このような文章もあります。
「書相は、よくその人の価値を表現する。端的にいって、いかにしたら書相によって人の価値を見分けられるか? 人品良き者は品良き書を、下品なる者は下等なる書を、強き個性を有する者は、強靭なる書を・・・」と長々と続くのです。なにこれ書評なの? 感想文か。それと魯山人が良寛を絶賛しているのですが、さっぱり意図が分かりません。

今宵の収穫は、魯山人入門には白崎秀雄『北大路魯山人』を一冊読んどけばいいということが分かったことぐらいでしょうか。私には本著『魯山人書論』は何の役にもたちませんでした。
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[2010/12/20 05:17] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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