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追うぞ! 千夜千冊43夜 『日本・現代・美術』 椹木野衣
今宵の著者は「さわらぎのい」と読みます。私とほぼ同世代の人です。そう云えば椹木さんは最近よく評論を新聞に寄せています。若い時から優秀な美術評論家なのでしょう(本著執筆時点では35歳ぐらいか)。ど素人でまったくの場違いな私ですが、松岡正剛さんの千夜千冊を追っていますために偶然にお目にかかったご縁であなたの御著書について触れさせていただきます。ご無礼をお許しください。

ところで松岡正剛さんの今宵の記事は何が書いてあるのかさっぱりわかりません(松岡正剛さんの結婚式の仲人が中村宏という方だとは知りましたが、そんなことはどうでもよい)。まずもって前衛美術というものが分からないです。

前衛美術というのは、文字通り前衛的な美術のことですが、私にはそれ以前に前衛的というに教養がないです。前衛って、もともと軍隊用語ではなかったのでしょうか。だとしたら、何かに対する攻撃というニュアンスがあるはず。前衛部隊を英語でadvance guardと云い、これがフランス語になるとアヴァンギャルドです。何か旧世代に属する芸術、保守的な権威や資本主義体制などへの攻撃の先頭に立つというような政治的ニュアンスなのだろうと思います。

で、それがどうしたのだということなのですが、とりあえず、第二章「九○年代日本の「前衛」」ってところを読んでみました。そうするとこんなことが書いてあります。要するに、日本の前衛美術は西欧のそれと比べるとしょぼい(力がない)のだと云っています。

そして私が分からないもう一つの言葉があります。それはポストモダンです。文字通りモダンの次ってことですが、モダニズムとは、近代主義と訳される19世紀末にカトリック教会で起こった運動に端を発し、20世紀初頭に各分野で起こった実験的な芸術運動だと云われています。その程度ぐらいにしか知りません。一般的に建築・文学・思想の三領域でポストモダンは論じられます。文化に足場を置く概念の用語なのでしょうか。

例えば哲学の一例を挙げましょう。ヨーロッパの近世から近代に至るまでの哲学は数学を理想とし自我や理性という原理から演繹的に導かれた知の体系を築いたと云われています。こうしたありかたに逸早く批判を投げかけたのがニーチェでした(ポストモダン思想)。この程度でしたら私でも知っています。

たいへん粗い要約ですが、ポストモダンは、古典的な絶対的な正しさの観念を相対化して、現代社会の内的な自由の精神の核心をよく表現したことに意義があるのだと理解しています。

で、再度それがどうしたのだということなのですが、さてさて自分でも分からなくなりました。

岡本太郎を引用してみましょう。

「芸術は、つねに新しく創造されねばならない。けっして模倣であってはならないことは言うまでもありません。他人のつくったものはもちろん、自分自身がすでにつくりあげたものを、ふたたびくりかえすことさえも芸術の本質ではないのです。このように、独自に先端的な課題をつくりあげ前進してく芸術家はアヴァンギャルド(前衛)です。これにたいして、それを上手にこなして、より容易な型とし、一般によろこばれるものはモダニズム(近代主義)です」

今宵の著書は、日本の芸術にアヴァンギャルドとポストモダンを観ようとしたときには多く課題を抱えているということを云いたかったのだと思いました。

さぁ、こんな小難しいのはもう終えて、さっさと次へ行こ。
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[2010/10/31 18:24] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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