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追うぞ! 千夜千冊42夜 『方丈記』 鴨長明
閑居とは、世俗を逃れて心静かに暮らすこと、またそういう佇まいを意味します。そういう趣や味わいを得たい。鴨長明が云っているのはただそれだけのことです。私は昔から『方丈記』にポジティブなものを感じられずにいました。学生時代に『方丈記』を暗記していたやつがいましたが、何がそんなに良いのか理解できませんでした(笑)。

鴨長明は、賀茂御祖神社(いまの下鴨神社のことだと思います)の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれ、偉い先生の門下に学び歌人としても活躍したそうです。しかし切願していた河合社(ただすのやしろ)の禰宜(ねぎ)の地位(宮司が神社の代表者としたら禰宜は補佐役)につくことが叶わず神職としての出世の道を閉ざされた後は、出家し俗名を音読みした鴨長明(ちょうめい)として知られるようになりました。

その後の長明ですが、松岡正剛さんによると、「46歳で後鳥羽院の北面に召され、おりから建仁元年に設けられた和歌所の寄人(よりうど)となった。このときは首尾よく宮廷歌人33人の一人に入った。けれども、定家『明月記』を見るかぎり、長明の歌は定家によって無視しつづけられた。長明はかくて歌人としての名声も得られなかったのである」のだそうです。

失意のもとで出家したのが長明50歳のころ。58歳のときに(1212年)に綴った『方丈記』は和漢混淆文による文芸の祖、日本の三大随筆の一つとして後世に有名となりました。長明は、和歌は俊恵に、琵琶を中原有安について教わっていたのでそれらの素養はしっかりとしていたのでしょう。けれどここまでの生き様を見ますと挫折の人生を歩んできた半生だったのではないでしょうか。

松岡正剛さんが我々に注意を喚起して下さっています。

「『方丈記』は長明の「最後の出発」と「最初の凝視」を表現したものとならなければすまなかったはずである。また、そのように『方丈記』を読むことがわれわれの身心を注意深くする」

『方丈記』は短いしすぐに読み終わります。漢文の調子の難しいことは分かりませんが、それを和文に巧みに移していることは感じられます。名文であり、その後の日本で最も流行した文体の一つでしょう。

鴨長明が62歳で没したことを思いますと、『方丈記』は最晩年にたどりついたある人間の境地だと思います。残りの人生がまだある私にはちょっといまは入用ではありませんが、「閑居の気味」っていうやつをまるでわからない訳ではないので今宵は有益でした。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。・・・

そんなこと言われましても・・・(笑)
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[2010/09/23 08:56] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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