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追うぞ! 千夜千冊41夜 『アジア音楽史』 柘植元一・植村幸生編
著者らも、松岡正剛さんも、アジアの音楽史を論じるものがいない、そう最初から嘆いています。私にはそのようなことはどうでもよいですが、とにかく本著の存在が稀なのだと知りました。

しかし本書を読もうという意欲が湧きません。アジアの楽器とその音色が聴ける、そういう本だったら楽しいのに。例えば、中国の二胡とかを聴いてみたいです。だけど本著は文字だらけ。正直、苦痛で仕方がないです。松岡正剛さんが使っている言葉で「せんかたない」というのがありましたが、これを憶えただけでも収穫だったとしましょうか。

なんでもこれまでアジアの音楽史を論じた本というのは、次の3つだけなのだとか。それ以降はまともな論考はないのだそうです。
①田辺尚雄『東洋音楽史』1930年
②岸辺成雄『東亜音楽史考』1944年
③滝遼一『東洋音楽史』1953年

今宵の学びは、次の松岡正剛さんの指摘が本質でしょう。

「東洋音楽の議論がながいあいだにわたって盛り上がらなかったのは、かつて兼常清佐が「日本音楽史は成立しない」と言ったことに端的に示されているように、楽譜がないことを問題にしすぎてきたからだった。しかし、それは西洋的な楽譜がないだけのことで、読む気になればいくらも東洋的な楽譜はあったのである。いや、それは西洋的な意味での“楽譜”というものではなくて、むしろ人間の本来の記譜能力にもとづいたインター・ノーテーションだった。音楽家や音楽研究者たちは、それを読むのが面倒なだけだったのである。ぼくなどは、そのようなインター・ノーテーションのほうが五線譜などよりずっとおもしろい」

インター・ノーテーションとか、そんな難しい言葉を使うから、松岡正剛は訳が分からないと云われるのだと思いますが、私流に解釈すると、複数のテキストや意味を相互に関連づけ結びつけるハイパーテキストという意味なのだろうと思います。たしか離のときに教えてもらった気がします。

「さらに別のことで言うのなら、アジアの中ではいまでもどこでも実際のアジア音楽が生きているのである。それをナマで体験すれば、楽譜など必要もなかったし、仮に楽譜にしたければ、それは研究者や音楽家がやってみればよかったはずだった」

そりゃぁ、そうです。美しい調べを聴けたらそれでよいのです。

「本書はとくにすぐれた本ではない。ただし、アジア音楽史を通観できるものがないので、この本を推しておくことにした」「全体は共著形式になっていて、総論にもとづいて東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジア、日本が分担されている。年表もついているのだが、地域別に分断されているのがつまらない」

はい、買って手に取り、私もすぐにそう感じました。松岡正剛さんが最も嫌う編集の仕方です。とにかく本著はつまらないです。

世界読書って、こんなつまらない本も読まないといけないのですね。修行だとはわかっています。それでも重ねていいますが、アジアの楽器が奏でる美しい音を聴きたいです。
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[2010/09/18 20:59] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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