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追うぞ! 千夜千冊40夜 『ドリアン・グレイの肖像』 オスカー・ワイルド
松岡正剛さんの今宵の冒頭です。なんと云うのか、このだらだらした文章、スパッと頭に入ってきません。

「この本を読んだときの感慨をまざまざと思い出せるには、あまりにも時が過ぎてしまっている。もう一度、読もうかと思ったが、それでは当時の感慨が薄れてしまう気もする。ワイルド文学を批評するというならともかくも、ドリアン・グレイを思い出すために『ドリアン・グレイの肖像』を読み替える必要はないように思われる。その程度にはドリアン・グレイはずっとぼくのなかで生きている。しかし、あらためて思い出してみると、ぼくがこの本を読んだ学生時代で惑溺したのはドリアン・グレイではなくて、ヘンリー・ウォットン卿だった。その、青年をたぶらかす快楽主義と悪魔主義と耽美主義に、おおいに惑溺したものだった」

松岡正剛さんが言いたいのは、「その後の文学の多くはドリアン・グレイを描くほうに走っていったが、ヘンリー・ウォットン卿を描くことが、オスカー・ワイルドの真骨頂なのである」ということでしょう。

恥ずかしながら、私は基本的なことを知りません。この作家は誰なのか。そして『ドリアン・グレイの肖像』はどんな話なのか。

オスカー・ワイルドは1900年に亡くなったアイルランド出身の詩人、作家であり劇作家です。

話はこうです。
美貌を持つ若き貴公子ドリアン・グレイがいる。彼には崇拝者が大勢いてその一人が画家のバジルである。バジルは、なんとかドリアンの完璧なる美をキャンバスに留めようとドリアンの肖像画を描く。そしてそれを友人のヘンリー・ウォットン卿に見せる。ヘンリー・ウォットン卿はドリアンの耳元で誘惑の言葉を囁く。ドリアンはバジルを刺し殺す。ドリアンは、肖像画の前に立つとキャンバスにナイフを突き立てる。次の瞬間、ナイフはドリアンの心臓を貫いており肖像画は一瞬にして元の美しさを取り戻した。

要するにこの作品は、ヘンリー・ウォットン卿がドリアンに囁いて美青年ドリアンが坂を転げ落ちるように堕落していく様を描いています。そこで交わされる美に対するメッセージを味わうということなのかしら。しかもそのメッセージは逆説的に語られています。

例えば、このようなものです。
「ものごとを外観によって判断できぬような人間こと浅薄なのだ。この世の真の神秘は可視的なもののうちに存しているのだ」

今宵はこれ以上よく分かりません。こんなときは、映像を観るとよいかもしれません。調べてみますと、1945年にハリウッドで映画化された「ドリアン・グレイの肖像」と、1970年にイタリアと英国の合作として製作された「ドリアン・グレイ/美しき肖像」という作品があるようです。

お仕舞い。
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[2010/09/12 04:36] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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