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千夜千冊25夜 『無敗の法則 ヒクソン・グレイシー』 ヒクソン・グレイシー
優れたアスリートの話を聴いてみたい。その人が現役でも現役を引退してからでも構わない。監督やコーチのような指導者ならなおさら発言に重みがでる。我々ビジネスパーソンには、彼らの話は心にじわりと響く。

ところが残念だが、スポーツ競技者やその指導者は、たとえば作家のように書き言葉を訓練していない。現役ならなおさら忙しくて読書もさほどしていないだろうから、語彙も少ない。兎にも角にも、彼らは身体に沁みついた体験が人一倍豊富なのだが、その体験を巧みに言葉で現わす技量はないのだ。

私はこれまでソフトボールの宇津木妙子さんやシンクロナイズドスイミングの井村雅代さんらの話を聴いたり本を読んだりしたが、正直なところ、彼女たちの言葉遣いは貧弱だと感じた。だけども話はめっぽう感動する。なぜって、普通の人には体験できない苦難の克服や修羅場のくぐり抜けをやっているからに他ならない。しかもそれを情熱的に語ったり書いたりしている。だから人の心を射る。さらにここに力の漲った言葉を選び用いれば、鬼に金棒だと思うことしばしばだった。

前置きが長くなった。ヒクソン・グレイシーは格闘家である。400戦無敗の男だと云われている。2000年の船木誠勝戦以降は試合をしていない。いま51歳だ。つい最近、正式に引退を宣言した。彼のこれからの使命はグレイシー柔術を普及することのようだ。格闘家としてのこれまでを振り返り広く言い残したいことがあったのだろう。そういう事情から本書は著されたのだと思う。

そのヒクソン・グレイシーと云えど、言葉は拙い。それが私の正直な印象だった。だけど書いてあることのひとつ一つにはたいへんな感銘を受けた。ここにヒクソン・グレイシーが、例えばピータードラッカーのような言葉遣いができたとしたら、ほんとうに鬼に金棒だろうにと思った。

さて私は、本書をいろいろな観点から読み楽しんでみた。まずニュース的な観点である。長男のハクソンくんが交通事故により18歳で亡くなったことは知っていたが、ヒクソン・グレイシーが奥さんに全財産を残し離婚して米国を去りブラジルに帰国したこと、新しい恋人がいること、家には家政婦を雇っていること、二人の娘は欧州で暮らしていること、そんなエピソードを新しく知った。

次に振り返り的な観点である。何と云っても、ヒクソン・グレイシーが父エリオ・グレイシーをどう観ているのかよくわかった。そして船木誠勝戦では、船木のパンチ攻撃で眼下底を骨折し一方の目がまったく見えなかったという証言を目にして、約10年前のあの試合の、そう言えばヒクソン・グレイシーがやけにおとなしい試合運びをしていたなという思い出でが蘇ってきた。その当事者の状況がそういうことだったのかと知りショックだった。

そして本書の中心となる精神的な観点である。言葉が拙いので、ヒクソン・グレイシーに興味のない人なら、こういうのはただの精神論だと片づけるかもしれない。本人も格闘技術を専門的に語っても一般人にはつまらないだろうと配慮してくれているのだろう。精一杯の自分の人生論を語ってくれている。知的なものはそう多く感じないが勇気づけられることに間違いはない。

最後に驚いたことと云えば、ヒクソン・グレイシーってやはり個人主義だということだ。武士道を愛しながらも宮本武蔵には違和感を覚えるという。宮本武蔵には心がないとまで書いてある。日本を愛してくれているようだし何も悪い気はしないが、ヒクソン・グレイシーは日本の伝統の奥義に染まることはなかった。しかし今の若い日本人はヒクソン・グレイシーを支持することだろう。

日本でヒクソン杯というイベントをプロデュースするそうだが、総合格闘技に目が肥えたファインを満足させることができるだろうか。地味なものがでてくるような気がしないでもない。プロデューサーのヒクソン・グレイシーのお手並み拝見といこうか。
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[2010/09/30 14:38] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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