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追うぞ! 千夜千冊 30夜 『日本のサブカルチャー』 イアン・ビュルマ

読んでみると案外まじめに書いてあるなと感心しました。サブカルチャー(subculture)というのは、ある社会の正統的・伝統的な文化に対する概念で大衆文化を意味します。

松岡正剛さんも少し言及していますが、私もこの事例の見方は心に残りました。イアン・ビュルマ曰く、「しかし、この結婚劇で最も印象を残したことは、自分の結婚相手よりもはるかに大スターである山口百恵が、「友和の世話をする」ためにきっぱりと芸能界を引退したことであった。彼女は、全日本人にとって最も妥当と思える決断をしたまでのことだった。これは、この十年間の日本で最も教訓的で徳性を高揚する、真に慣習にかなった出来事であった」

イアン・ビュルマの述べたいことは伝わってきます。メッセージの趣旨には共感できます。しかしながら一般的な日本人はそんな風には認識しないでしょう。“ガイジンの眼”は貴重だと感じました。松岡正剛さん風に言うと「この本が出たとき、こんなに気楽に、かつ新鮮に、そしてあけすけに日本を見たことがかつてあっただろうかとおもった」という印象です。私も同感です。

いろいろな事例が挙げられています。この例は面白い。京都に東寺デラックスというところがります。関西人で知らぬ人はおそらくいないでしょう。少し長いですが引用します。イアン・ビュルマ曰く、「踊り子たちは舞台の縁にまで進んできて、しゃがみ、できるかぎり体を後に反らせて、最前列で顔を紅潮させた客の前でゆっくり脚を広げる。観客はいまや静まりかえって、この魅惑的な見物、その魔術的な器官が神秘の栄光に満ちてあらわとなるのを見んものと身を前に乗り出す。女たちはなお母性的なほほえみを浮かべ、客たちにもっと近くで見るようにやさしく励ましつつ、一人一人の鼻先を蟹の横這いのように動きまわる。男たちのすべての注意は女性の解剖学的構造の一点に集中される。女たちは男の欲望の屈辱的な対象ではなく、女家長的な女神のように完全に男たちを支配しているかに見える」“ガイジンの眼”を文章にしたらこうなるのかと感心しました。

ここで松岡正剛さんに学びます。「しかし、これらのアイテムやアイコンは、ひとつとしてイアン・ビュルマが解答したかったことではない。イアン・ビュルマが指摘したかったこと、そして考えたかったことは、「日本人のやさしさ」と「日本人の暴力性と色情性」とを重ねあわせられる何らかの説明を、日本人はもっているのだろうかということである。いいかえれば、日本人の行動規範のいっさいは、大衆的な遊びの中では何ひとつ守られていないし、生かされてもいない。ようするに日本のサブカルチャーにはいっさいの説明可能な道徳も反道徳もないのだとしたら、日本人は快楽と暴力をよそおうことでしか日本的なペシミズムを回避できないということになるが、それでもいいんですね、ということである」

難しい指摘です。考えてみると、日本人は大衆文化についてイアン・ビュルマのようにまで認識していないでしょう。説明できないし、故に道徳も反道徳もないと言われても仕方がないところがあります。たしかに、「こういうことについて、いまだ日本人は何も答えてはいない」です。

今宵は貴重な本と巡りあいました。絶版となっていてアマゾンで取り寄せると定価の7倍の値がついていましたが。
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[2010/01/19 00:10] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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