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追うぞ! 千夜千冊 24夜 『耕衣自伝』 永田耕衣

タイトルに自伝とありますが、読んでみたものの、この書からまったく永田耕衣の像は浮かんで来ませんでした。

永田耕衣については城山三郎『部長の大晩年』を読んでいたので薄っすらと知っていました。俳人とはどのような人なのか想像がつかず『部長の大晩年』を再読したのです。

工業学校を卒業し三菱製紙に入り、入社二年目に右手を抄紙機に挟まれて殆ど役に立たなくなり左手一本で働くことを余儀なくされています。永田耕衣が異彩を放つのはサラリーマンでありながら俳人のキャリアを若くから形成したことでしょう。俳句と音楽の違いはあるでしょうが、現存者の例で言えば小椋佳さんみたいな感じでしょうか。

松岡正剛さんの説明だと、永田耕衣は晩年に魅力があったようです。曰く。「耕衣は老いてからだんだん凄まじい。そういう老人力というものは昔から数多いけれど、ぼくが接した範囲でも老人になって何でもないようなのはもともと何でもなかったわけで、たとえば野尻抱影、湯川秀樹、白川静、白井晟一、大岡昇平、野間宏・・・みんな凄かった。なんというのか、みんな深々とした妖気のようなものが放たれてくる。正統の妖気である。それが耕衣にあってはもうちょっと静謐なバサラのようなものがあって、俳諧が前へ行っているのか、沈みこんだのか、上下しているのか、飛来なのか飛散なのか、そういうことが見当のつかない横着が平ちゃらになっていくのである」

静謐なバサラ? 意味がわからない。穏やかだが豪壮という形容で、晩年の宮本武蔵のような感じなのかしら。永田耕衣は若い頃、棟方志功や河井寛次郎らに接し民芸の精神を養っています。根源とか、第一義とかを問題とし写生よりも自己主張や観念を打ち出したそうです。

俳壇で主流を占めてきたのは高浜虚子が主催するホトトギス派で、正岡子規の写生説を忠実に守り花鳥諷詠を中心に置いた俳句づくりをというものであったようです。これに対し一部の俳人たちはそれに飽きたらず、昭和に入り社会不安や軍国主義の広がりの中で人生や社会をも見つめ、また写生にとらわれぬ句をと俳句革新運動をはじめました(新興俳句)。

永田耕衣は、その新興俳句に属する人でもなかったそうですがホトトギス派とも波長が合わなかったようです。当時の状況をもっと知りたくなっています。俳壇というのはどういう世界なのでしょうか。俳句とは五・七・五の音節から成る日本語の定型詩ですが、高浜虚子は、俳句とは、客観写生、花鳥諷詠であると言ったそうです。

永田耕衣の俳句観とはどのようなものであったか。私には『耕衣自伝』を読み抜く力がありません。

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[2009/12/17 00:10] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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