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千夜千冊 15夜 『シベリア抑留』 栗原俊雄

今、テレビで放映中の「不毛地帯」ですが、瀬島龍三をモデルとする壱岐正がシベリアに抑留されるシーンが前半にあります。

シベリア抑留とは、第二次世界大戦末期にソビエト連邦軍の満州侵攻によって生じた日本人捕虜を、主にシベリアやモンゴルなどに抑留し強制労働に使役したことを指します。

「不毛地帯」で壱岐正は、陸軍士官学校を首席で卒業し、第二次大戦中は軍の最高統帥機関である大本営の参謀として作戦立案にあたっていましたが、終戦を受け入れず日ソ中立条約を破って侵攻してきたソ連軍に対する徹底抗戦を主張する関東軍を説得するため、停戦命令書を携えて満州に向かいます。そして関東軍の幕僚らとともにソ連軍に拘束され、戦犯としてソ連の軍事裁判にかけられ強制労働25年の刑を宣告されると、シベリア極北の流刑地ラゾに送られてしまう。

生死の境をさまよう過酷な強制労働を11年もの長きに渡って耐え抜き、昭和31年に帰国するという設定です。ほぼ史実と言われています。

さて上記の基となったシベリア抑留の全容について私たちはあまり知りません。第二次世界大戦末期といえば、太平洋戦線と本土空襲や原爆投下のことが詳しく語られていますが、日本から遠く離れたシベリア抑留のことについてはよく実態を知らないというのが、少なくとも46年も生きた私の歴史観の現実です。

栗原俊雄という著書は、毎日新聞社の記者ですが、まだ若く40歳を過ぎたあたりの人で、こうやって良い仕事をしていただいてたいへん在り難いです。

学ばせていただいたことを少し書き出してみると、
○発端について
・1945年8月9日、満州国にソ連軍が国境を越えてなだれ込んできた。兵員凡そ160万人。
・当時の満州国には、関東軍兵士のほか凡そ150万人もの日本人が住んでいた。
・ソ連は第二次大戦で約3,000万人の労働力を失ったと言われ、スターリンは戦後の経済復興のため、すでにドイツなどの敗戦国の捕虜多数をソ連領土内に連行し、強制労働に従事させていた。
○抑留について
・終戦後ソ連によって強制抑留された日本人は、日本国政府の推計によれば凡そ57.5万人と言われている。軍人、軍属が90%以上を占めるが、民間人4万人弱も含まれる。その中で死者は5.5万人のようです(37万人近いという説もあり、永遠に正確な数は不明とされている)。
・抑留は三重苦。すなわち、飢え、極寒、そして重労働。死者は1945年~46年に集中している。その実態は想像に絶するものである。多くの証言が残っている。
○帰国について
・抑留者の集団引き上げは大別して二期に分かれ、前者が1946年~50年、後者が1953年~56年。著者は毎日新聞の資料で正確に紹介してくれています。1946年12月8日京都・舞鶴に、ナホトカを出港したソ連地域からの引揚げ船が到着。
・シベリア帰りはアカされる空気で、帰還者のなかには故郷に帰ってから警察官につきまとわれた者も少なくなかったとか。
・瀬島龍三は11年も抑留され、「日本の軍人や民間人の帰国を規定したポツダム宣言(9条)違反であり、日ソ中立条約を破っての対日参戦とともにスターリンの犯罪であった」と述べている。

今日的問題は、①実態の正確な把握(関東軍の動向や抑留実態)、②抑留者への補償、③シベリア抑留の歴史的な伝承、この3つなのでしょう。

若い著者のあとがきにある言葉が心に響きます。
「窮地に立たされた時にどう振舞うかによって、その人間の本質が現れる」
一義的には当時のソ連に責任がありますが、私は、満州国とか関東軍の実態について何も知らない自分を恥じたとき、日本という国とは一体何者なのかという強い反省心を持ちこのシベリア抑留について考えさせられました。
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[2009/10/27 00:10] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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