FC2ブログ
追うぞ! 千夜千冊 9夜 『新々百人一首』 丸谷才一

先日のことですが、松岡正剛さん近辺のO氏に、「追うぞ! 千夜千冊」をやり始めて何だか深遠な智の世界にはまり込んで行きそうで、絶望感というのか、ある意味で恐怖感を覚えていると率直な感想を漏らしたところ、ふふふと笑われました。そうでしょうと言いたげな、だけども温かい励ましのようなものを返して下さいました。

私のブログなど誰も読んではいないと勝手に思い込んでいて、好き勝手なことを綴っていますが、最近では「追うぞ! 千夜千冊」をやっているんだって! 読んでるよとか、ブログ面白いねとか生の声をかけられるようになり、恥ずかしいのやらなんのやら。死ぬまでできる老後の趣味だと笑いをとってやり始めた「追うぞ! 千夜千冊」です。力が湧いてきました。どんどん進めたいと思います。

さて、本題はここから。
著者の丸谷才一も子供の頃から百人一首に馴染みがあるように書いています。「わたしがはじめて知った由緒正しい文学は、姉たちの取る歌がるたの、父の詠みあげる読み札だったろう」。また松岡正剛さんのお母様は、「たいていの歌を憶えていて、しかも早かった。府一の女学校時代は袴を着けて遊び競っていたという」だそうです。このような二人の書き出しを読みますと、知識人の家族の情景を見る思いがします。私は家族や親戚と花札でよく遊んではいましたが家に百人一首のかるたはなかったです。幼心に百人一首と接した記憶がありません。中学や高校の古典の授業にも興味がなかったのです。

そもそも百人一首とは何なのかさえ知らない始末。古来の代表的な歌人百人について、一人一首を選んでつくった詞華集(アンソロジー,Anthology)です。大事なことは、歌を選ぶ編集者が誰かということです。日本で百人一首(ひゃくにんいっしゅ、又はひゃくにんしゅと読む)と言えば、小倉百人一首と通称される、藤原定家撰による新古今期までの代表的な歌人百人について作られた私撰和歌集を指します。ということは藤原定家なる人が編集者であり、百人一首の設計をしている人だと言えましょう。

当然のことながら、選歌においては編集者の力量が試されます。何よりもまず古来の代表的な歌人に通じていないと話にならないでしょう。そう考えると丸谷才一という人は、よくぞこのような仕事を引き受けたものだと感心します。『新々百人一首』なので、きっと誰かが小倉百人一首後に、「新百人一首」をやったのでしょう(調べてみると足利義尚なる人が編んでいるそうです)。

松岡正剛さんはこう述べています。
「その丸谷さんがいよいよ新たに百人一首を組み始めたのである。なんだか羨ましかった。それに、なんだか悔しかった。それで各誌の連載を追うのはやめにしたのだが、あらためて一冊にまとまったものを読んでみて、これはただならない壮挙な企画であるとともに、丸谷才一の選者としての能力、さらには編集の才能というものにあらためて感服することになった。」

さて、それでどうした? ブログ読者はそう問うでしょう。松岡正剛さんは律儀に『新々百人一首』から歌を紹介していますが、私には不可能です。だってこの百の歌を一つも知らないもの。

カテゴリーは、春、夏、秋、冬、賀、哀傷、旅、離別、恋、雑、釈教、神祗となっています。

とはいえ、34番、秋のカテゴリーから一首
夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かず寝(い)ねにけらしも 舒明(じょうめい)天皇

秋、鹿は妻を求めせつなげに声をあげる。それは高くよく通る声であると言われています。舒明天皇は毎日その声を聞いては、おそらく小倉山の林の中に居るであろう雄鹿の独り寝の姿を想像していたのでしょう。その理解があって歌の意味が分かります。すなわち、夕方になると小倉の山でいつも鳴いていた鹿の声が今宵は聞こえない。もう一緒に夜を過ごす相手を見つけ寝てしまったのだろうか。

本来なら、こうやって一つ一つの歌を噛みしめないといけません。松岡正剛さんが提唱している「この「新々百人一首」をもとに、光琳よろしく誰かがこれをカルタに装飾し、さらには一字きまりの新たな「むすめふさほせ」などをあげて、いつしか正月に丸谷カルタ(マグナ・カルタのようですね)が遊ばれることを想像すると、それこそ居ても立ってもいられない気分になるばかりである。」を商品化する会社はないのでしょうか。
スポンサーサイト



[2009/10/25 00:10] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
| ホーム |