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追うぞ! 千夜千冊 6夜 『辞書の世界史』 ジョナサン・グリーン

分厚いなぁ、この本。4夜の『皇帝の新しい心』を凌駕します。一言一句読んでいたら日が暮れそうです。しかも何日も。

著者は、松岡正剛さんもですが、最初にこう書いている。「辞書編纂家(レキシコグラファー)という言葉が英語で初めて使われたのは、1658年のことだった。もともとギリシャ語で、レキシコン(辞典)とグラフォス(書くこと、あるいは書き手)という言葉を結びつけたものである。」

35頁ある序章ぐらいはきちんと読んでおこうと思いました。500頁に及ぶ続く15章は、ただ頁をめくっているだけで日が暮れてしまいました。さらりと目をやったぐらい。殆ど読む気がしない(笑)。著者のジョナサン・グリーンについては、フリーランスのジャーナリストで自らも辞書編纂家であるという情報しかありません。でも何だか凄い人だなぁ。

要は、古代から中世、そして現在に至る、古今東西の辞書編纂家(レキシコグラファー)がどのように活躍してきたのかということが書かれています。しかし残念なことに日本の事例はないのです。そのことに気づいたときひらめきました。日本のこういう書を誰か書いてくれないかと。

話を戻します。大昔のことを知ろうとすると気が狂いそうになるので、1755年にイギリスのサミュエル・ジョンソンが『英語辞典』を出した以降のことを話すことにします。経済学者のアダム・スミスが、「ジョンソン氏は、英語のひとつひとつの語の様々な意味を残らず集め、すぐれた分筆家の文章からの実例でそれを裏付けている。彼の辞典と他のものを比べて見るなら、彼がいかに卓越した存在かは一目瞭然である。」と評したそうです。

どうもこのあたりから、レキシコグラファーは「退屈な仕事をこつこつと続ける人畜無害な存在」としか思われていなかったものが、世界を編集するうえでの最も勇気のある仕事といった見方に変ったようです。

松岡正剛さんは、本著から気になるレキシコン(辞書)の紹介をされていますが、私はやめにします。追えません。降参です。ここで学び取るべきことは、要は、国語の大事を国をあげて守り抜いた人たちがいるということではないでしょうか。ジョナサン・グリーンは欧米を中心にその歴史を紹介してくれましたが、日本にもレキシコグラファーはいたはず。

国語と苦闘した例として、松岡正剛さんの勧めで、本著と併せて『言葉の海へ』 高田宏 を読んでみました。大槻文彦が『言海』をいかに誕生させたかについて、その苦闘を生き生きと描いています。『言葉の海へ』を読んでみてやっとレキシコグラファーの雰囲気が伝わってきました。

実際に大槻文彦がどのように言ったのかは分かりませんが、『言海』に臨む姿勢とはこういうものだったのでしょう。

「近代国家には近代国語辞典が要る。一国の国語の統一は、独立の基礎であり標識である。それなくして一民族たることを証することは出来ぬ。同胞一体の広義感覚は持てぬ。」

松岡正剛さんの勧めに沿って、今度は井上ひさしさんに学んでみよう。
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[2009/10/06 00:10] | 追うぞ! 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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