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宇津木妙子

アントニオ猪木のビンタじゃないけど、宇津木妙子に、高崎まで来なさいよ、マシンガンノックやってあげるわ、と言われて気持ちが動いている今日この頃です。

やはりこの人の持ち味は元気。いつか生宇津木と会ってみたいと願っていたのが叶いました。さきほどから、宇津木妙子とか、生宇津木とか呼び捨てにしてしまいましたが、それは恐れ多いこと。心から敬意を込めて宇津木妙子さんとお呼びします。

シドニーで銀メダルとって女子ソフトボールは一躍脚光を浴びました。宇津木妙子さんはその日本代表監督。次ぎは金メダルと期待されて挑んだアテネではまさかの銅メダル。一部には宇津木バッシングがあったと聞きます。その責任を取って退任されました。

あの北京の感動は今でも余韻が残りますが、王者アメリカの最後の打者を上野由岐子が打ち取った時に、「よし!よし!よ~し!」と大声で絶叫したのは、解説席の宇津木妙子さんでした。

宇津木妙子さんの人となりに接して、私があらためて気づいたことが3つあります。

1.これは批判でも何でもないので誤解しないで欲しいのですが、宇津木さんのようにスポーツ一筋という人は、いわゆる学がないので、例えばチームビルディングについて語る場合でも、ビジネスパーソン向けの語彙不足で説得力が弱い。ところが実績に裏打ちされた身体に宿した知恵は図抜けているため、要所のコメント力には素晴らしいものがあります。私の感想ですが、こういう人から深い教えを得ようと思うと、一方的な講演を聴く、これではまったくダメ。こちらからコンテキスト(脈絡)をつけた中での質問をぶつけてみると、驚くほどの示唆が返されます。

2.ソフトボールへの情熱はどこからくるのか。宇津木妙子さんは埼玉の星野女子高校からユニチカで日本ソフトボールリーグ入りしたのですが、当時ユニチカではバレーボールが花形。大松監督率いる東洋の魔女たちを近くに見て、ソフトボールの、ほんど存在感のない実情を思い知る。元気の源は「いつか見返してやる」という思い。ソフトボールを皆に知って欲しい、認めてもらいたいという気持ち。そうか、彼女は壮大な夢を見ていたのだと思いました。

3.北京の金メダルをとった上野由岐子は、今では少し勘違いしているのかもしれないとのコメントや、これからの、しかも過去を遥かに上回るほどのモチベーションを醸成するのは、ほとんど不可能かもしれないとの発言は、妙に胸を打つものがありました。また次のロンドンではソフトボールは競技ではなくなるし。そう考えると金メダルをとったことは、それは意義のあったことではあるけれども、そのために陥ってしまう落とし穴があるようです。満開に咲いている花よりも、いままさに咲かんとする蕾にこそ、人の感動と成長はあるのであって、一人でも多くの人たちにそういう環境を与えてあげたい。自分はもちろん、教え子も指導者となって苦難に立ち向かえ、そう檄を飛ばす宇津木妙子さんのような気がしました。

56歳の御大。勇ましい「もう一丁やるか」とのお言葉。2016年夏、もし東京になってソフトボール復活となったら、宇津木麗華とのダブル指導で陣頭指揮をとる、というのも夢の話ではないでしょう。

宇津木妙子さんに最敬礼です。





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[2009/06/02 00:10] | 人物評 | コメント(0) | page top
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