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過去に戻れる人
長く生きますと過去との向き合い方タイプが分かれるようです。

私は、便宜的に、(1)過去に戻る人、(2)過去に戻らない人、(3)過去に戻れる人、そして(4)過去に戻れない人の4人種に分けています。

(1)過去に戻る人と(2)過去に戻れない人は悲しいかもしれません。人は当然に今を生きているのですから過去に戻るとは今の否定でしかありません。そして過去故に今があることを思いますと過去に戻れないとはその過去が無いと云うのに等しいでしょう。

ここで過去に戻る戻れるというのは、過去の思い出の中に過去の自分の意識に浸る浸れることであると軽く定義します。

私は、(3)過去に戻れる人の方が(2)過去に戻らない人よりはるかに人生が豊かなのだと感じています。今を生きるんだから過去に戻るなんてしないと云うとかっこよく聞こえますが実は浅底なのかもしれません。過去に戻れると生きているという味わいは深まります。

ときたまでいいのです。過去に戻れる人でありたい。
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[2011/01/13 09:11] | 古典の智恵 | コメント(0) | page top
吉野・金剛蔵王権現
秋は吉野へ、とは云わないです。吉野へは春と決まっています。少なくとも関西の人は皆そのことを知っています。なんと云っても桜が一番のところですから。

ですが私は、初秋のこの時期に、急ぎ吉野へ行きたくなりました。夏に高野山へ行ったときのように心が何かに急かされていました。行ってみますと、案の定、吉野は閑散としていました。近鉄特急は空いているし、吉野駅からロープウェイに乗るのですがほとんど人の姿が見えません。

関東の人は、まったくと云っていいほど、このニュースを知りませんが(少なくとも私の周りに例外はいなかった)、金剛蔵王権現がいまご開帳中です。私には、どうしてこのような大ニュースを前にして拝みに行こうと思う人がいないのか超不思議でした。

吉野の聖地と云ったら、金峯山寺(きんぷせんじ)です。ここにあるお堂が蔵王堂です。国宝です。ここに鎮座するご本尊を金剛蔵王権現と云います。四百数十年にわたり秘仏とされています。権現(ごんげん)というのは、権(かり)の姿で現れた神仏という意味ですが、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の3尊がいらっしゃいます。この金剛蔵王権現を拝みに訪れたのです。

金剛蔵王権現の右手にある三鈷は天魔を砕く相で、左手の刀印は一切の情欲や煩悩を断ち切る剣を持ち、左足で地下の悪魔を押さえ、右足で天地間の悪魔を払うお姿です。背後の火炎は偉大なる智慧、御身の青黒色は深い慈悲を現し、まさに大自然の霊威そのものの発現と云えるでしょう。3尊は、神であり、また仏であり、神仏混淆を旨とする修験道のご本尊です。

世界遺産となったとき1年間ご開帳されていましたのでどんなお姿かは随分出回りました。今回は史上二回目の一般公開です。写真を載せておきましょう。

Zaoudou_3tai.jpg
[2010/10/18 05:32] | 古典の智恵 | コメント(0) | page top
高野山
高野山に行きたくなりました。

そう思ったら、なんばから発車する特急こうやに乗車していました。90分弱で極楽橋に着きます。ここからケーブルで、数分後に高野山駅。関西人なら、高野山は聖地であり、避暑にもってこいの場所だと知っています。猛暑日が続いていますが、高野山はとにかく涼しい。汗をかかないというのは信じられないぐらい。

この山上には一つの町ができていて、4千人が暮らしているそうです(その30%弱は僧侶)。南海鉄道がなかったら、深山の中ですから、理想郷といえるかもしれません。泊まるところを宿坊と呼び、当然に肉食はなく、ごはんは精進料理となります。

金剛峯寺とは、本来は高野山全体を指す名称でしたが、いまは寺院を指します。高野山は、ごく簡単に云うと、この金剛峯寺の方向と、その間逆の方向にある奥之院の二つのエリアから成ります。墓マイラーにも聖地でしょう(笑)。戦国武将の大方が高野山に眠っていますから。

昔、父の手に引かれて蝉とりをしたり、学校で林間学校に来て宿坊で枕投げをした記憶が蘇ってきました。懐かしい。
[2010/08/08 01:18] | 古典の智恵 | コメント(0) | page top
教養
ベネッセが子会社のベルリッツを通して行なうという「哲学や芸術などの古典を通じて価値観や見識を養い、世界で通用する人材を養成する講座」にはたいへん興味が湧いてきます。

すでに訪問していますので、その土地の魅力はよく分かるのですが、上記の講座は、今年12月上旬に、香川県の直島で行われるそうです。だけど定員が20名程度ということで、きっと大企業から人が派遣されて埋まってしまうのでしょう。

もっと一般の多くのビジネスパーソンに教養を身につけてもらいたい。当社では切にそう願っています。

かくいう私自身も、松岡正剛さんにご指導いただき、世界読書の奥義をご披露いただいたのですが、あまりにも深淵で広大であり、本業の仕事をやっている暇はないという本末転倒な事態に陥りかけたことがあります。

実際のニーズは、ビジネスパーソンが、しかも本業の仕事を殊のほか大事としている職業人が、自らの器量を磨き、人としてより知的に深く魅力的になっていく(人間性を高める)ための、教養のつけ方のノウハウであり方法論なのです。

「哲学や芸術などの古典を通じて価値観や見識を養うこと」は一つの大事な方策だと思いますが、この水先案内人が稀で、めったにいないことが大きな困り事です。知を扱う出版社とか書店が、そして教育関係の会社が、こういったニーズに応えないといけません。

我が社も襟を正そう!
[2010/07/24 06:15] | 古典の智恵 | コメント(0) | page top
窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず

この有名な『易経』の言葉をしみじみ感じます。

事態が困難な状態まで進むと、そこで必ず情勢の変化が起こり、変化が起こると、そこからまた新しい展開が始まります。

しかも困難な状態というのは、複数のものが一気に来るような(なんとも不思議に思えますが、分散されないのです)気がします。

私の教訓は、
①(自分事だと)窮してきたと実感せよ(他人事だと見守れ)
→苦しいです。Sさん、この原体験が後の人生で物をいう。ひたすら実感さ。
②変化に適用せよ
→固定は死なり。必ず変ると思え。変化を拒むのは阿呆な人生だ。

[2010/01/04 00:10] | 古典の智恵 | コメント(0) | page top
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