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東北関東大震災2
3月12日土曜日、13日日曜日は、日本列島は晴れで気温もさほど下がらず穏やかでした。被災地の救援においては何よりの救いだと思いました。日曜日は終日テレビを見ていました。目を覆いたくなるばかりの悲惨でこれが現実だとは信じ難い状況でした。テレビはこの段階で死者数は2桁と報じていましたが、直感で4桁になると感じました(その数日後に自分のこの直感さえも甘かったことを思い知りました)。

私は、1995年の淡路・阪神大震災を大阪で体験しています。32歳になる年でした。震災3日後に西宮北口から六甲へ歩きましたので被災地の情景が今でも脳裏に焼きついています。徐々にテレビに被災地の映像が流れ始めていましたが、淡路・阪神大震災のものとはまるで違う。津波にのまれるというのはこういうことかと愕然としました。自分の身体が震えていました。淡路・阪神大震災では大方は建物倒壊による圧死・窒息死でしたが、今回は津波による溺死がほとんどでしょう。

14日月曜日以降も自宅にいました。仕事はキャンセルとなりました。複数のメディアから情報収集は続けました。無関心と無知は人でなしと思っていましたし、私の職業使命は、ものごとを知ることにより人が人として明るくなることを支援することですので、自らがその実践をやめることはできません。

福島原発のニュースが緊急案件でした。この記事を書いている今でも現代進行形で事態は推移しています。この先どうなるかわかりません。大規模なメルトダウンとなれば東日本は壊滅でしょう。東京電力という会社の命運は尽きたと思います。いまでも現場の方々は状況によっては命がけで行動していただいているとは思います。だけども大局的には、会社の使命を会社の力でやりきってこの危機を乗り越えられないのではあればもはや存在意義はありません。いまは事実上政府の管理下にあります。疑問に思うのは東京消防庁の投入が遅すぎたのではないか。

最初は輪番停電と呼ばれていた計画停電ですが、14日月曜日から始まるということで、世のなかには経験則がないため初めてづくしでした。茂原市は第1グループだと前日に知っていましたので、何時から3時間程度の停電になるのかさっそく探りました。追って茂原市から回覧板がまわってきましたが、14日月曜日の段階では情報不足でした。影響が大きかったのは電車が運休するということです。外房線は運転を見合わせました。私は急ぎ動く必要はなかったので困りませんでしたが地域には混乱でした。計画停電は、結局、14日月曜日と15日火曜日は、茂原市では実施されませんでした。

(続く)
[2011/03/18 07:40] | ニュース | コメント(0) | page top
東北関東大震災1
ここ1週間、仕方なく自宅にいました。集中力に欠き何にも手がつけられませんでした。ようやく記録に残しておこうという気になり、この未曽有の大災害の実感を数回にわけてアップします。

3月11日金曜日午後、私は大阪にいました。15時前にTwitterにより東北で大地震の報を知りましたが所用に入りました。それが終了したのが17時30分ごろ。千葉県茂原市の自宅に電話がつながりません。そのまま次の所用に入り、大阪の実家に戻ったのは22時前でした。テレビで悲惨で壮絶なる状況をみて絶句。何度も自宅に連絡を取ろうとしますが電話がつながりません。そのような時に家内からのメールが大幅な時間差で届き家族が無事であることを知りました。

翌朝、帰るべきか、大阪に残るべきかを思案しました。東京では、JR東日本が昨日は運転を見合わせたそうで今日は動くのかどうか分からぬままでしたが、新幹線は平常通りとのことでしたし帰る決意をしました。朝から自宅と連絡も取れ安心は増しました。朝はそんなに急がなかった。新大阪駅はごった返していてチケットを買うのに時間を要しましたが11時の新幹線に乗ることができました。

前夜のテレビで東京には大勢の帰宅困難者がでたことを知っていました。JR東日本も早朝から運行したので午前中には大方の人が帰れたのではないでしょうか。千葉までは総武快速が走っていました。とりあえず千葉駅に着きました。外房線(千葉-安房鴨川)の運休は続いていました。となるとバスかと思いあたりを確認すると茂原まで行くのはなく、近くまで行くバスには長蛇の列ができていました。タクシーを考えましたが、そのような時にTwitterにより外房線は18時頃に運転再開との見通しを得ました。

そこでこのまま千葉駅にとどまることを決めました。千葉そごうは営業していましたが飲食店が閉鎖されており、唯一営業していた神戸カプチーノ倶楽部で待機しました。幸いにも土曜日でしたのでゆっくり過ごすことができました。昨日の地震は、殊に15時すぎの茨城沖を震源とするものが房総半島には厳しかった。銚子市や旭市が被災していることをニュースで知りました。

千葉駅から外房線が動いたのは19時前でした。「この列車が地震後初めての運行となります」というアナウンスが「どうにも走り出してみないと安全なのか分かりません」と言われているみたいで心配でした。35キロ走行のノロノロ運転です。気のせいか、線路と列車の接触音がなんだか変であるようにも感じられました。それでも運行することが鉄道事業者としての使命だろうにとも強く思いました。ようやく茂原駅に到着。帰宅は21時頃でした。

自宅の倒壊や破損を覚悟していましたが、幸いにも何の被害もなく胸を撫で下ろしました。余震が頻繁に起こっています。NTTドコモの緊急避難速報が何度も鳴っています。家内と状況を共有し家族の無地を知り安堵しました。こんな時に風呂に入れる有難みを全身で感じました。こうやって地震翌日の長い一日を終えたのでした。

(続く)
[2011/03/17 05:13] | ニュース | コメント(0) | page top
松岡正剛・平城京レポート
悲しいことですが現実なのでしょう。

以下の報道がありました。

奈良県は1月31日、昨年の平城遷都1300年祭の内容をまとめた冊子「平城京レポート」に誤記や再確認が必要な記述が計170か所あったと発表した。

県は配布予定だった800部を、編集を委託した業者(東京)に返品し、刷り直すよう求めている。昨年末に約1000部を発行した後20か所以上のミスが判明、対応を検討していた。

発表では、誤記は1567年に焼失した東大寺大仏殿を「1000年以上も保存されている」とするなど47か所。誤植は法華寺(奈良市)を「法華時」とするなど37か所。確認が必要な表現も86か所あった。同レポートはA4判、284ページで、編集費約400万円。昨年9月から3か月間で外部のライターら約30人が執筆した。県は「執筆期間が短く、確認も不十分だった」としている。

(読売新聞)

問題の本質は2点あります。※敬称略します。

1.この「平城京レポート」なるものは松岡正剛史観であること。好きな人もいれば認めない人もいるということです。ただ国の歴史認識を一人の史観に依拠してよいものなのでしょうか。これは問題だと思います。
※私は松岡正剛さんを尊敬していますからいつかこの「平城京レポート」を読んでみたいと思っていました。ただし鵜呑みにはいたしません。

2.「外部のライターら約30人」というのは、松岡正剛門下の人たちだと思います。彼らの名誉のために述べますが、松岡正剛の指導に基づいて誠心誠意「編集工学」を駆使したのだと思います。ところが彼らは歴史研究家でもなく普通の市民で松岡正剛により書くことにパワーを与えられているだけの存在です。この外部ライターの起用もおそらく松岡正剛の一存でしょう。加えてライターが30人もいるのに原稿の「編集」(一般に云う編集とは異なる)はできても肝心の校正がおざなりになる誠に奇妙な人たちです。マネジメントがないのです。
※ちなみに私はこのライターの何人かを知っていますが、どなたも真面目に松岡正剛を信奉されています。アドバイスですが信奉は尊敬に留めておかれたらどうでしょう。

いずれにせよ世間に迷惑をかけたのですから謝罪と猛省をお願いしたいものです。
[2011/02/01 05:36] | ニュース | コメント(0) | page top
お下りさん
誰もが知っているように、お上りさんとは、田舎から都会に見物や観光旅行に来た人たち。彼らは、都会に出て来て圧倒されてキョロキョロして歩いています。こういった人を嘲たり、からかう際にお上りさんと用います。

さて東北新幹線が新青森まで延伸し、東京から最短で3時間半弱で行けるようになりました。私は、何の用もないのですが東北新幹線に乗って新青森まで行ってみたい気分になっています。

都会から田舎に見物や観光旅行に行く人で、田舎の新鮮さにわくわくしキョロキョロして歩いている人がいるでしょう。私などはまさにそういう人となり、どこか旨い鮨屋を見つけてはぶらりとお店に入っているかもしれません。

お下りさんの登場です。
[2010/12/23 05:31] | ニュース | コメント(0) | page top
お召し列車
お召し列車が、本日、蘇我から茂原へ、茂原から勝浦へ走りました。天皇皇后両陛下は、明日この列車で東京へお戻りになるのでしょう。

E655系という車両です。JR東日本が平成19年に新造したもので、VIP対応の特別車両です。行幸啓に使われる場合は、これがお召し列車となります。普段はどこに置かれているのか。もちろん極秘なのでしょう。

初めて知った言葉遣いですが、念のために確認しておきますと、「お召し列車」とは、天皇・皇后・皇太后が利用するために特別に運行される列車で、それ以外の皇族が利用するための列車は「御乗用列車」と呼ぶそうです。

さて地元住民としての観察ですが、とにかく騒がしいです。まずいたるところに多数の撮り鉄が出没します。もちろんカメラをお召し列車にむけます。テロのことを真剣に考えると警備も重装になります。当然に撮り鉄も持ち物を検査されます。私の近所では、一軒一軒に2階以上の高い部屋の窓から見下ろすなと通達があったとも云われています(これは道路わきの家々にですが)。

蘇我から茂原への区間のことですが、お召し列車の一両が、椅子などがないのがあって、天皇皇后両陛下は終始お立ちになったまま、沿線住民に手をふっておられたとか。

行幸啓の一場面でした。
[2010/09/26 21:42] | ニュース | コメント(0) | page top
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