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千夜千冊22夜 『東京の副知事になってみたら』 猪瀬直樹
ちょうど猪瀬さんの話を聞く機会があった。そのセミナーでは本著が指定図書となっていた。話は、いま副知事として何をしているのかというものだった。

3つある。1つは、東京水道のシステムを東南アジア諸国に売ろうというもの。明日マレーシア政府に営業に行くんだと話されていた。なんでも東京水道は、漏水率が3%で、徴収率は100%に近いそうだ。世界の水メジャー(例えば、仏のベオリア、英のテムズ)と伍して戦うには日本企業は弱い。日本の水道は行政が所轄しているため、その優れたシステムを持つのは企業ではないからだ。なので東京水道を猪瀬さんが営業しようというわけだ。

1つは、東京メトロと都営地下鉄の一元化である。それは可能であり早急に成されるべきだと猪瀬さんは主張している。2004年度から2008年度の2社の経常利益の推移を示す資料を配布していただいた。その推移がともに同程度に増加傾向にあることを強調していた。それが一元化の根拠だと云う。ちょっと苦しい理屈だとは感じるが、ユーザーとしてはぜひ一元化して欲しいと思う。

1つは、言語技術である。東京都は、知事の石原さんも、猪瀬さんも本業は作家だから言葉にはたいそう敏感である。東京都の職員に言語技術の研修を行なっている。若いうちから言葉の遣い方にスキルを磨いた方がよい。猪瀬さんには、どんどん言語技術を宣伝して欲しい。ビジネスパーソンにも必要だから、私も言語技術の普及に努めたいと思う。

以上はセミナーの報告だが、それに関係している事柄が本著にすでに書かれている。猪瀬さんは、旧日本道路公団を分割し、東日本、中日本、西日本として再生させた。またこの3社合わせて30兆円の借金を返済するために、3社の年間売上2兆円のうち1.6兆を充てるプランを実行した人だ。高速道路が近頃随分活気づいてきたのは猪瀬さんがやり遂げたこの改革があったからこそである。猪瀬さんのビジネス変革力に脱帽する。

行政のトップには、猪瀬さんのような異能の人材が必要だと思う。見習うことがたいへん多い。とても期待しているし、私にできることがあれば喜んでお手伝いしたい。

ところで猪瀬直樹は、大昔、朝まで生テレビによく出演していた。印象は、とっつきにくい人というもの。なんだかすぐに噛みついてくる。私にはそんな印象がある。だから、『ミカドの肖像』を読んだぐらいで、これまで猪瀬直樹をそれ以上何も知らなかった。実際に本人から話を聞けば、たいそう論理的に話すし、言葉に重みもあるし、質の高い内容だと感じた。

猪瀬直樹の書いた人物評伝4冊を一気に読んでみたいと思う。その4冊とは、『ペルソナ 三島由紀夫伝』『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』『ピカレスク 太宰治伝』『こころの王国 菊池寛と文藝春秋の誕生』である。

石原慎太郎と作品の創造に刺激しあっている話には感動しました。素敵です。ありがとうございました。
[2010/08/28 06:57] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
千夜千冊21夜 『ホスピタリティ原論』 山本哲士
適切にホスピタリティを説明している本としては、本著は今現在日本唯一だろう。だから価値はとても高い。この本に出会えたことに深く感謝している。

ところが本著はたいそう読みにくい。サービスと対比させてホスピタリティを語っているので、日常的な情景がイメージできる内容であるから、コンテンツそのものが難解なのではない。大半の責任は著者にある。印象で失礼なことだが、“偏屈な爺さん”という感じを受ける。

偏屈さをどこで感じるかというと、サービスを嫌っていることである。最初は全否定の様相だった。その主張は行きすぎだろうと誰もが感じると思う。窪山哲雄さんに、実際にはサービスも必要でありホスピタリティのみで現実は成り立つものではないと諭された件がある。著者は改心したようだ。

また言葉遣いが著者独自のものに凝り固まっている。例えば、ホスピタリティの定義を次のように記述している。ホスピタリティとは、自己の自己に対する関係において、非自己が他の非自己と働きあう自己技術の対的インターアクションの述語的場所における述語的アクティビティをいう。

自己とか非自己とか、対的インターアクションとか、述語的場所とか、現在のどこの学問で用いられている概念なのか。例えば、述語的場所など、西田幾多郎から摘み食って著者好みで用いているにすぎない。オリジナリティと云えばかっこよく聞こえるが、私には“偏屈な爺さん”が好み拘っている言葉にしか聞こえぬ。

こういう風に、一つ一つが著者用語で概念が作られており、その組み合わせでホスピタリティが語られているので、たいそう読みにくくなっている。

そうかと思えば、サービス批判をするときは、やけに具体的かつ現象的に説明している。一例を挙げるとJR批判である。横浜から東京へグリーン車に乗るとき、駅に数台のグリーン席購入機があるが、急いでいたり大勢が並んでいたり、またスイカにチャージが不足していたら、そのまま乗ってしまうだろう。それなのに社内で買うと250円高いとは、いい加減にせいと著者は怒る。「お客様のために」と云いながら、決して顧客を観ていないのがサービスであると糾弾する。

読者としては、上のサービス批判は面白いので、その通りだとは思うが、だからサービスの全否定とはなるまい。ここが著者の偏屈なところだ。反対に、この調子でホスピタリティを具体的かつ現象的に説明して欲しいものだが、ニ三ある例は、いずれもユーザーの私の様子をよく観ていてくれて私が快適であるように応対としてくれるというもので何も面白いものはない。

“爺さん”だなぁと思うのは、限定して分かりやすく説明してくれたらよいものを、ホスピタリティの全体を論じようとするところだ(欲張りを感じる)。そのため本著は大部となる。著者の他著も同じ傾向のようだ。こういうのは年寄りの性質である。

すなわち、ホスピタリティを形成する社会とか、ホスピタリティを向上させる教育だとか。ホスピタリティ原論と名がつくので、それは悪いことではないが、そのため各論が抽象的なままで掘り下げられていない。私が最も知りたいホスピタリティ教育は、ほんの触りしか述べられていない。

上記に説明した理由を含めて、この『ホスピタリティ原論』を読むだけでは理解がさほど進まないだろう。できれば著者から直接話を聞くと良い。私はそうしたので、かろうじて著者の意図を掴むことができた。

著者のことを“偏屈な爺さん”と失礼な物言いをしてしまったが、前夜の船井幸雄なんかと比べたらよほど見識のある人だと思う。私の心は、まず何よりもこの本に出会えたことへの深い感謝である。山本哲士さんの主張を、もっと分かりやすく説明できて、ホスピタリティを広めていきたい。

最後に、世阿弥「風姿花伝」を、生涯、座右の銘にしようと誓いました。山本哲士先生、誠にありがとうございます。
[2010/08/13 08:20] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
千夜千冊20夜 『撤退せよ! 似非コンサルタント』 船井幸雄
私のこの千夜千冊は、原則として良書を紹介している。まだ20夜を迎えたばかりだが、一服したくなり、今宵はそうではない本を採りあげてみようと思う。

船井幸雄の本なんて、よもや読むことはないと思っていた。ところが、つい先日、本著を衝動買いしてしまった挙句、無意識のうちに、傍の喫茶店で読んでしまった。自分はどうしたのだろうか。

本書は表紙をめくると、カバーの裏側にこんなキャッチコピーがある。「おそらく私の最高傑作ではないか」と。ホー、船井幸雄が何冊の本を出しているのか知らないが(400冊以上だと本人は述べている)、その中で最高傑作なのか。そこまで云うなら読んでやろうかと1,500円を支払った。

読書時間30分。「あぁ、船井幸雄の本だ」と感じた。情報価値はほぼゼロに近い。それよりも懐かしさというのだろうか、そんな感慨が湧いてきた。思えば20年以上も前、私が20代の半ばを過ぎた頃あたり、竹村健一や、落合信彦やらをよく読んでいた。そう云えば船井幸雄もそんな中に入っていたなぁと懐かしんだ。

結論から言うと、こういうカルトは、昔から大勢いた。斎藤貴男『カルト資本主義』では、今から13年前の63歳の船井幸雄が紹介されている。この頃は、脳内革命だとかEM(有用微生物群)を持ち上げていた。懐かしい。船井幸雄はカルトの代表例だ。そして、カルトを支持する経営者や、カルトの言葉に酔う信奉者は多い。

本著の内容は、バカらしくて真面目に論じる気も起きないが、コンサルタントに、熟達したのと未熟なのがいるぐらいは誰でも知っている。未熟なのに一端のコンサルタントでございという顔をしているのが「似非コンサルタント」だと云いたいのだろう。

私に云わせれば、船井幸雄ってオールド世代だと思う。人生の、しかも人様に見識を示すという意味で、この業界の大先輩だからリスペクトはしているものの、こういうカルトは亡くなるまでカルトで居続けるのだろうと思う。

もはやコンサルタントがクライエントに情報を示すというサプライチェーンの発想は古い。いまや情報は溢れかえっている。クライエントのニーズは、情報をつなげる方法を自ら考え抜いて価値創造することだ。それに力になってくれる人をコンサルタントと云う。コンサルタントは、ディマンドチェーンでないといけない。

私の造語だが、サプライチェーン型コンサルタントであるという意味において、熟達していようが未熟だろうが、そういう立場に立つということだけで、彼らが「似非コンサルタント」である。「撤退せよ! 似非コンサルタント」と、私も云いたい。

船井幸雄を、金輪際読まないとしっかり心に刻印できたという意味で、本著は良著であったと思う。

最後に、懐かしさのあまり一言だけ。「伊右衛門」で、前屈テストやオー・リングをやってみた。今でもこういうのが好きだったりする自分が可愛い。

さて、船井幸雄さん77歳。私より30年も人生を深められている先生に向かって偉そうな物言いですいません。どうかご自愛下さい。
[2010/07/10 20:54] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
千夜千冊19夜 『ジャズ喫茶論』 マイク・モラスキー

本著は「ジャズ喫茶」論である。ジャズ論でも、ジャズ文化論でもない。ところで「ジャズ喫茶」は日本の事象である(アメリカに「ジャズ喫茶」なんてのはないだろう)。ミネソタ大学アジア言語文学学科教授であるマイク・モラスキー氏。このような面白い研究を外国人に先にやられて良いのか。表紙を見て悔しい思いだった。

ウィキペディアで「ジャズ喫茶」をひくと以下のように説明されている。「ジャズ喫茶とは、主にジャズのSP・LPレコード音源をかけ、客は鑑賞を主目的として来店する形式の喫茶店。1950年代に始まり60年代に隆盛を迎え70年代に下火を迎えた。現在では音源の多様化、経営形態の多様化も見られる」。大事なことは、今日でも「ジャズ喫茶」が日本にはあるということだ。

著者がどういう研究をしたのかと言うと、最初から以下のような卑下する。

沖縄から北海道まで、ぷらぷらといろんな町を歩き回り、ジャズ喫茶にふらっと現れてコーヒーを注文し、しばらく店内で流れている音楽に耳を傾けてから、隙を見てノートとペンを取り出しながら店主に声をかける-そのような無礼、かついい加減な「研究」が本書の基盤となっている。

ところが、著者の前著は『戦後日本のジャズ文化』青土社 なのだが、サントリー学芸賞を受賞している。サントリー学芸賞は、広く社会と文化を考える独創的で優れた研究、評論活動を、著作を通じて行った個人に対して贈られるものだ。社会・風俗部門の2006年の受賞が『戦後日本のジャズ文化』である。このことから、著者は『ジャズ喫茶論』を書く前提認識として戦後日本のジャズ文化を基底にしていることがわかる。

いい加減なのか、「ジャズに触れずには戦後日本文化が十分に語れない」という研究者としての大志なのか。私は本書の特徴をとらえきれなかったが、そう力まずに軽い気持ちで読んでくれと著者から肩をたたかれたような気がしている。

本著は、とにかく定義、規則、分類が多い。笑えたり、学べたり、著者の人柄を知ったりできる。

まず「ジャズ喫茶絶対条件」というものだ。7点ある。
1.最低でも数百枚のレコード・コレクション(千枚以上が好ましい)を有すること。
2.一般人が所有困難なほど高品質・高価なオーディオ・システムが設置されていること。
3.店主や店員がジャズ、とりわけジャズ・レコードに対してかなり詳しいこと。
4.ジャズのレコードだけを営業期間中、絶えずかけ続けること。ただし、ブルースやボサノバおよびラテン・ジャズは多少かけてもよいだろう。
5.BGMに間違えられない程度の音量でレコードをかけること。
6.昼間も営業しており、客がコーヒー一杯だけ注文し、約二時間座っていてもヒンシュクを買うことのないような店であること。
7.看板や入り口などに「ジャズ」と明記して店を宣伝していること。

興味深いのは「ジャズ喫茶での行動文法」というものだ。5点ある。
1.全体としてクールにふるまうこと(興奮表出禁止)。
2.最低限以上に喋らないこと(死語禁止)。
3.かかっているレコードを一所懸命聴いているというボディ・ランゲージをはっきり伝えること(「オレは真剣だぞ」、と見せること)。
4.たまにレコード・ジャケットやライナー・ノートを手にとること(「オレは勉強熱心だぞ」、と見せること)。
5.許されるなら、レコード(なるべくめずらしくて渋いのが好ましい)をリクエストしたりすること(「オレは通だぞ」、と見せること)。

時期区分はおおいに勉強になった。ジャズ喫茶の歴史的変遷である。7区分とされる。なお▼は私の感想。
1.ジャズ喫茶創世期 1929年-40年
▼この頃、ダンスホールというのがあったのですね。
2.ジャズ喫茶低迷期 太平洋戦争からアメリカ占領時代 1941年-52年
▼戦時中はジャズ音楽全体が厳しい取締りを受けます。当然か。
3.ジャズ喫茶復活期 1953年-57年
▼FEN(進駐軍放送)のラジオ番組でジャズが流れる。ベニー・グッドマン、ジーン・クルーパ、オスカー・ピーターソン、ルイ・アームストロングなどのジャズ・ミュージシャンが来日。ブームに。
4.モダンジャズ喫茶全盛期 1958年-72年
▼ジャズを聴く若者が急増。この時期に「ジャズ喫茶」が文化になったのですね。
5.ジャズ喫茶混迷期 1973年頃-80年代初頭
▼レコードの相対的価値が下がっていったことと関係しています。
6.ジャズ喫茶衰退期 バブル時代 1980年代初期-1990年代初期
▼若者の支持が急落。音楽聴取習慣の急変に事情がありそう。
7.ジャズ喫茶保存期・回顧期 1990年代半ばから現在(そして未来)へ
▼ジャズ喫茶が団塊の世代と共に滅びていく運命にあるのは寂しい。

本著から「ジャズに触れずには戦後日本文化が十分に語れない」という著者の思いが伝わってくる。著者は言う、「ジャズ喫茶は、欠如・距離感・希少性の3Kで成り立った。つまり、一流の生演奏はめったに聴けず、本場は遠すぎ、そしてレコードは高すぎた。でも聴きたい! 音盤をかける喫茶店という日本独特の空間はかくして出現した」。
[2010/05/06 11:50] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
千夜千冊18夜 『「社会的入院」の研究』 印南一路

父と母は介護認定を受けている。くわえて父が外でこけて骨折、一般病床に運ばれもう4ヶ月にもなる。特養へ入居待ち状態。印南先生の本著を他人事には思えない。読みたいと心から思った。

さすが意志決定・問題解決の研究者。いたってシンプルな構成だ。
第Ⅰ部 社会的入院とは何か
第Ⅱ部 社会的入院の実態
第Ⅲ部 社会的入院の発生原因をひも解く
第Ⅳ部 良質な高齢者医療&ケアを実現する政策

第Ⅰ部で、「社会的入院」を高齢者医療最大の病理としている。病理だから根絶せねばならない。壮大な問題解決の書である。「社会的入院」とは、端的に言うと「不適切な入退院」であり、補足すると「社会的妥当性を欠く、新規入院、入院継続、転院、退院」を意味する。

「不適切な入退院」の5類型が示される。
1.社会的新規入院
▼入院医療の必要性が小さいのに、社会的理由によって新規に入院すること
2.社会的入院継続
▼入院医療の必要性が小さいのに、社会的理由により入院を継続すること
3.不適切な転院
▼入院医療を継続する必要性がなくなったため退院するが、本来退院すべき先(在宅や介護保険施設、あるいは療養病床)ではない先に退院すること
4.未完退院
▼入院医療を継続する必要性があるのに、社会的理由によって退院すること
5.社会的再入院
▼不適な転院、未完退院の後、入院医療の必要が生じ、1ヶ月以内に再入院すること

何が問題なのか。著者の主張は4点ある。
1.社会的入院は高齢者の人生を台無しにする可能性がある。
2.社会的入院は医療費の無駄を生み、必要な医療を提供できなくなる。
3.社会的入院は世代内・世代間の不公平をもたらす。
4.社会的入院は医療者・介護者にストレスをもたらす。

第Ⅱ部では、社会的入院の実態が報告される。現状を俯瞰すると、一般病院の高齢入院患者の約三分の一、療養型病院の高齢者入院患者の約半数が社会的に入院している状態と推計される。これは大問題だと思う。

肝心要はなぜ社会的入院が蔓延るのかである。第Ⅲ部が本書の心臓部だ。
著者は、「社会的入院の当事者要因モデル」を示す。平たく言うと、患者側、家族側、病院側に各々に原因があるとする。本質だけを短く指摘すると、患者側の原因は、入院医療への依存である。家族側の原因は、介護忌避である。病院側の原因は、退院調整機能の不足である。

もう一つ、著者は、「社会的入院の需給供給行動モデル」を示す。狭義には、上記三者の当事者要因で説明できる。すなわち、病院側(供給)は、退院調整機能の不足している中で、入院させてもよい、とする。それを受けて患者側・家族側(需要)は、入院医療への依存と介護負担感による介護忌避により、入院したい・させたい、となる。これにより需給がマッチングする。広義には、ここに2つの制度的要因が加わる。1つは、低密度医療問題である。これは、施設の不適切性、病床過剰によるマンパワー分散、診療報酬による誘導の医療提供制度側の問題。2つは、在宅介護へのインセンティブ欠如&入退院の容易性という医療&介護保険制度の問題である。

私見であるが、狭義の当事者需給モデルで事象をみるだけでは、この問題の本質は克服できないのではないか。制度的要因に斬り込まねばならない。

大事なところだから、分かりやすく言いなおしたい。病院側の根本原因は病床数の過剰である。病床数が過剰であるため病床当りのマンパワーが分散し、低密度な医療しかできない一般病床が多い。そこでは入院期間が延びるだけでなく漠然とした医療が提供されるから、高齢者が寝たきりになったり認知症を発症したりするリスクが高くなる。療養病床や介護保険施設も同じくマンパワー不足であるから、寝たきりなりかけている高齢者を回復させる努力は充分払われない。この結果、要介護度の高い患者がどんどん増え入院医療や介護施設の需要が次々に生み出されている。

私は、父の入院を通して上記を痛感した。

患者と家族側の最大の原因は、介護保険と医療保険の間にある種々の不均衡と望ましい高齢者医療&ケアに関する国民の理解不足である。こちらは我々の能動的な学習と覚悟の問題だ。

第Ⅳ部の著者の改革案に賛同する。目玉は、急性期になりきれない一般病床を解消し、医療と介護を総合的に提供する施設(これは現行の老健や特養ではない施設)に転換させること。マンパワー不足による低密度医療から高密度医療に転換し、高齢患者に最短の入院期間で回復に向かわせ、従来の生活に復活させることができるようにする。ここに、在宅医療・在宅介護を活性化させるための保険制度の改革、入退院の適切性をチェックする仕組み、医療やケアの質を向上させるような診療報酬のあり方などを変革する。

読み終えて、患者と家族側として、高齢者医療と介護のあり方とそれに対峙せねばならない現実を鑑みて、深い覚悟が要るのだと悟った。

[2010/05/05 09:51] | 千夜千冊 | コメント(0) | page top
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